「文句なしの100点満点です」
第1ラウンドのプレーを振り返って、そう自己採点したのは3アンダーパー、67で5位タイにつけた杉山知靖だった。1993年神奈川県生まれの24歳。昨年のプロテストに合格したツアールーキーである。日本オープンには、アマチュア時代の2013年大会に日本アマのランナーアップとなって出場した経験があるが、今大会は最終予選を通過しての出場となった。もちろん、プロとしては初出場だ。
フェアウェイからのショットが、ピンそばにピタピタと寄った。初バーディとなった7番(パー5)で1メートル。12番(パー3)こそ8メートルほどの下りフックラインを決めたものだったが、15、16番は、それぞれ70センチ、50センチにつけての連続バーディだった。
好調なショットは、練習ラウンドから生まれていた。杉山は、練習日に同年齢の浅地洋祐、時松隆光と一緒にプレーした。このとき、浅地に注意されたという。「ラインよりも右を向いて構えている。そう指摘されたんです。肩のラインは、スクウェアで足元は右。つまり、アドレスで体が捻じれた状態になっているということでした。ラウンド後にドライビングレンジでそこをチェックしながら調整したら、スウィングのバランスがよくなり、ショットもまとまってきたんです」。
得意なクラブはユーティリティ、スウィングの基準にしているクラブは7番アイアン。大切にしているクラブは、マレット型のパター。このパターは、大学(中央学院大)時代から使い続けているもので、今大会が行われている岐阜県のメーカーが製造、販売していたもの。現在は、そのメーカーもなく、絶版になってしまったモデルである。「このパターの生まれ故郷ともいえる岐阜で、僕にこんなスコアを出させてくれたのも、何かの縁なんでしょうか」。杉山は大事にしているというパターを手に、首を傾げて見せた。
「満点のゴルフは続かないと思います。出来過ぎとは思いたくありませんが、明日からも、当初基準にしていたパープレーのゴルフを目指していきます。その中で、今日みたいな自分にとってのスーパーショットが何発かあれば、ボーナスのようなスコアになる。はい、そんな気持ちでラウンドを続けていきます」。
インタビューを終えたとき、杉山は「話を聞いてくださって、ありがとうございました」と、深々とお辞儀した。初々しい好青年であった。
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