長く、苦しい戦いだった。池田勇太にとっては、4日間72ホールを戦い抜いたというよりは「夢で、2回も見た」という3日目の残り3ホールの2ボギーが、どうしても心の隅に引っかかっていたからだ。いや、それだけではない。思えば2014年に初優勝して、翌年は土壇場でのシャッター音やアンラッキーな出来事で2位。昨年は、松山英樹や小平智と競り合って敗れての2位タイと、思えば、3年越しの優勝だった。その悔しさもあったのだろう。今年に賭ける気合は、相当なものだったと思う。
「日本オープンに勝つのが、こんなにも難しいものだとは思わなかった」と、優勝後の記者会見で改めて言っていた。
5打差リードしての最終ラウ
ンド、18ホール。いやそれに加えて第3ラウンドの残り3ホールを引きずっての21ホールの悩ましさを、池田は、しみじみと実感していた。第1ラウンドから昨日の15番までの51ホールのゲームの流れは、池田の想定内だったはずだ。そこまでは、イメージどおりの枠内のプレーができ、いざ、そこから起承転結の「結」を、どういう風にまとめていこうと思ったときに、3番(462ヤード・パー4)でいきなりOBが出た。「なんであのショットがOBになるんだ!」と内心驚いたという。「別に変なスウィングだったとは思っていないし、あのスウィングで左にOBがでるなんて……。なんだか自分でわけがわからなくなってしまった。だからどうしても左が怖くなってくるし、混乱しましたよ」と語った。
ゲームは、アマチュアの金谷拓実との激しい攻防となった。池田が、3番のダブルボギーで通算8アンダーパー。金谷は、そのホールをバーディ、さらに4番でもバーディをとって、1打差まで詰め寄った。金谷とのシーソーゲームが続く。その後、池田との差が2打差。しかし、それが終盤に近づく15番で、池田が再びOBを打って、金谷が同じホールでバーディとし、途中の2打差から再び1打差となり最終ホールまでもつれ込んだ。
最終ホール、池田勇太のティーショットは、圧巻だった。渾身のショットだ。そして「それまでどっ散らかっていた自分のショットを帳消しにしよう。絶対、フェアウェイに落としてやる。それまでのショットは、なんだったんだと言われるようなショットを打って、見せてやる」と決めて打ったという。「プロ意識です」といった。そのショットは、圧倒されるような打球だった。第2打はグリーン右サイド。左サイドのホールロケーションに対して、横16メートルほどあった。「あのファーストパットが、OKの距離まで行ったときに、なにかいろいろこみ上げてくるものがあった」と池田は言った。3年前の初優勝は、当時帯同キャディをしていた福田央さんと「勝とう」という共有の想いが強かった。それが初優勝に結びついた。
でも、今回の優勝は、池田勇太自ら「勝ちたい」という想いの強さでの戦いだった。共有した想いよりも自ら、自分自身のために、という想いのほうが、窮屈になるし、勝ちにくい。そのハードルを、池田は乗り越えての優勝だった。
だからこそ「日本オープンに勝つということは、こういう(ゲームの苦しさ)ことなのか」と、実感したのだった。
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