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Championship Reports
競技報告
【クィーンシリキットカップ優勝で日本チームが世界への一歩を踏み出す】
第4日 競技報告:JGA 写真:JGA
;手塚彩馨
2002年大会以来20年ぶりのクィーンシリキットカップ制覇。2位のニュージーランドとは7ストロークの大差をつけての快挙達成だったが、その道程は平坦なものではなかった。ムービングデーでスコアを1つ落とし、1打差まで詰め寄られて迎えた最終ラウンド。シンガポールの高温多湿と芝目の強いグリーンが選手たちのスタミナと気力を削いでいく中、体力的、精神的に辛い18ホールを日本チームは必死のプレーで戦い抜いた。

日本チームを牽引したのは、上田澪空。2番でこの日最初のバーディを奪い幸先良いスタートを切る。しかし、4番でボギーと足踏みをする中で、同組でプレーする韓国選手が「毎ホールでバーディを獲ってくる感じ
上田澪空
橋本美月
の鬼気迫るプレーで、このままではヤバいと。自分もバーディを決めて、相手にプレッシャーをかけないと」と、ギアチェンジ。「今日は、攻めのプレーをしようと、パッティングでショートをするのだけは、やめようと決めていて。最後まで、それはできた」と積極果敢なプレーで5番、7番でバーディを奪取し、前半で2つスコアを伸ばす。後半も12番から連続バーディ。15番でボギーを叩いたが、バウンスバックを決めて、この日6バーディ・2ボギーの68。チームトップのスコアを叩き出した。「第1ラウンドと第3ラウンドで不採用スコアになったのが、本当に悔しくかった」と語る上田が溜飲を下げた。昨年のアジアパシフィック女子アマでは18位タイと不本意な成績に終わり、「その時の悔しさも大きくて、それを糧に日本で練習を続けてきた」成果が日本チーム優勝と本選手権個人戦3位タイの成績に結実した。「この4日間、正直に言って、波はあったけれど、2日間60台をマークするゴルフができて、今までにない自分のゴルフができたと思う」と、自信に溢れた笑顔を見せた。

上田とともに最終ラウンドのチームスコアに貢献したのが、手塚彩馨。「最終ラウンドは、この3日間よりも良いスコアでプレーしたいという気持ちでいたけれど、なかなかバーディが奪えず苦しいゴルフだった」と振り返る。その言葉とおり、2番でバーディを奪ったが5番でボギー。その後はスコアカード通りのプレーでスコアを守り、17番で値千金のバーディでこの日1アンダーパーでホールアウトした。「このメンバーでチーム優勝ができて、本当に嬉しい」と充実した笑みを見せる手塚だが、喜びに浸ってばかりはいない。「この試合はとても暑くて、身体のリカバリーの大切さを実感した。自分のゴルフがまだまだ上手くなれる課題も見つかった。アプローチとパターが他の選手よりもまだまだ足りないと思う場面が多かったので、練習していきたい」と、前を向く。その視線の先には、昨年2位と惜敗した日本女子アマチュアゴルフ選手権のリベンジが見えている。さらにその先には、日本女子アマチャンピオンとして、もう一度日の丸を背負ってプレーする自分の姿を想像している。

最終ラウンドの橋本美月は、苦戦のプレーとなってしまった。1番から連続バーディでスタートダッシュを決めたかと思ったが、5番でボギーを叩くと6番ではダブルボギーを喫する。9番でバーディを決めて前半をパープレーで凌いだが、後半も10番からよもやの3連続ボギーを叩いてしまう。その後、13番、15番でバーディを奪い返して見せたが、この日は5バーディ・4ボギー・1ダブルボギーの73。チーム戦では不採用スコアとなってしまったが、通算9アンダーパーで2004年大会の諸見里しのぶ以来の個人戦優勝の快挙を果たし、チーム戦・個人戦のダブルタイトルを獲得。「本当に嬉しいです。チーム戦、個人戦で優勝を目標にしてきましたが、実現することができて。このメンバーで優勝できて、本当に嬉しい」と喜ぶ。昨年のアジアパシフィック女子アマチャンピオンとして、また日本チームの中心選手としての存在感を示し、橋本の初めての日本代表のプレーが終わった。

コロナ禍の中、ナショナルチームは制限の中で強化策に取り組んできた。その間、各選手は個人の技術力向上を図り、橋本がアジアパシフィック女子アマを制するなどの実績を残してきた。今年の5月にようやく強化合宿を開催し、新生日本チームの活動が始まり、本選手権を迎えた。濃密な時を共に過ごすことで選手同士のコミュニケーションが深まり、チームとして信頼関係を築いて達成した快挙は、日本チームのゴールではない。20年ぶりのクィーンシリキットカップ優勝を聞いた手塚は、「その時は宮里藍さんがメンバーだったと聞いています。この大会で優勝できるのは、宮里藍さんぐらいのレベルの選手だと思っていました。自分たちがチーム優勝をしたいま、このメンバーが世界レベルを目標にしなければいけないし、未来のナショナルチームメンバーに良い影響を与えられる存在になりたいと感じている」と思いを語った。メンバーはその思いを共有して、世界への第一歩を踏み出した。

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