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2006年度(第22回)エスピリトサントトロフィー 世界女子アマチュアゴルフチーム選手権 |
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日本代表選手団の紹介
女子チームは昨年大会に続いて2度目の世界女子アマ出場となる原江里菜と宮里美香、日本女子アマベスト4で7月の世界ジュニアで女子団体優勝に貢献した森田理香子の3名を選考しました。
キャプテン
里深 真弓 (JGA女子ナショナルチーム委員会強化部会長)
コーチ
阪本 知子 (JGA女子ナショナルチーム委員会強化部会委員)
選手
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原 江里菜(はら えりな)
(東北福祉大学1年)
先の日本女子学生ゴルフ選手権競技で、初出場ながら2位に10ストロークの大差をつけて優勝を果たした原江里菜。
選考合宿の結果、熱望していた世界女子アマ日本代表の座を射止めました。
原は本年、東北福祉大に進学すると、全国女子大学対抗戦で同大学のエースとして活躍し、団体優勝に貢献。
関東女子学生と日本女子学生を制するなど、既に女子学生ゴルフ界の中心選手としての地位を固めつつあります。
ナショナルチームとしても「ネイバーズトロフィー 日本・台湾・韓国チーム選手権」に出場を果たしています。
世界女子アマは、前回大会(プエルトリコ)に続いての2度目の出場。
前回は国内と海外との芝種の違いに戸惑い、個人14位タイに終わりましたが、本年、その雪辱を期します。 |
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宮里 美香(みやざと みか)
(興南高等学校2年)
日本女子アマ史上最年少優勝記録を持つ宮里美香。
地元沖縄県の高校に進学後も着実な成長を見せています。
本年の日本女子アマでベスト8入りを果たすと、7月の世界ジュニアでは、最終ホールまでもつれ込む熱戦を制し、個人・団体両部門での優勝を成し遂げました。
続けて8月の日本ジュニアでは、最終ラウンドに66をマークし、逆転優勝を果たすなど、その実力は広く知られています。
高校進学後から続けている筋力トレーニングの効果で、飛距離が伸びるとともに、体力アップが図られ、終盤になっても持ち前のショットの切れを見せられるようになりました。
世界女子アマは、原とともに2大会連続出場。
前回大会では、初出場ながら個人戦14位タイと健闘し、団体4位タイ入賞の原動力にもなりました。 |
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森田 理香子(もりた りかこ)
(京都学園高等学校2年)
本年の日本女子アマでベスト4入りを果たし、注目を集めた森田理香子。
宮里美香とともに出場した世界ジュニアでは、個人戦8位タイに入り、団体優勝に貢献。
全国高等学校ゴルフ選手権夏季大会では個人2位、日本ジュニア13位タイと引き続き好調を維持しています。
世界女子アマは、本大会が初出場。
森田の武器である飛距離を生かし、チーム戦3位入賞の目標を果たすべく、積極果敢なプレーを見せてくれるでしょう。 |
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世界アマチュアゴルフチーム選手権略史 |
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1957年(昭和32年)に霞ヶ関カンツリー倶楽部にて開催されたカナダカップの際、当時JGA副会長の野村駿吉が、USGAとの間でアマチュアの対抗競技会を提案した、この提案がUSGAを動かし、R&Aを賛同させ、結果的に世界35カ国のゴルフ協会、連盟を会員とする「世界アマチュア・ゴルフ・カウンシル(WAGC)/ 現世界ゴルフ連盟(IGF)」の設立となって、昭和33年の第1回大会開催へとつながった。
大会の呼び名は、時の米国大統領で、歴代大統領の中では最もスポーツに理解があり、ゴルフにも多大な貢献を果たしていたD.アイゼンハワー氏にあやかって『アイゼンハワー・トロフィー』と名づけられた。
過去、日本は1984年香港大会で優勝、1974年ドミニカ大会、1976年ポルトガル大会、1982年スイス大会の3度2位となっている。
一方、女子は、アイゼンハワートロフィー創始から7年後の1964年(昭和39年)に第1回大会が開催され、『エスピリトサント・トロフィー』と呼ばれ、今日まで続けられている。
過去、日本は1984年香港大会、1988年スウェーデン大会、1990年ニュージーランド大会、2004年プエルトリコ大会の4位が最高順位。
なお、2006年大会は、男子75・女子51の国と地域の出場が決定しており、過去最多の参加となった。 |
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2004年度(第21回)エスピリトサントトロフィー 世界女子アマチュアゴルフチーム選手権 競技報告 |
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