(財)日本ゴルフ協会(以下JGA)は、21世紀を前に主催競技のあり方を「ゴルフの本質とアマチュア競技としてのゴルフ」という見地に立ち返って見直しました。その一つが日本オープンゴルフ選手権競技(以下日本オープン)の門戸開放です。
(1)全国11ヵ所での一次予選の実施
(2)ツアーに出場する資格のない研修生への予選出場権の確保
——を実現させ、多くのゴルファーに日本オープンへ挑戦してもらうためのチャンスを広げました。
日本オープンは、日本のナショナルオープンとして、ゴルフの黎明期だった1927年にその産声をあげました。
日本オープンの「オープン」とは世界に向けて門戸を開放しているという意味で、アマチュア、プロフェッショナルを問わず同一条件のもと腕を競い合うというものです。
程ヶ谷カントリー倶楽部で開かれた第1回大会には、アマチュア12人、プロ5人の合計17人が出場。チャンピオンの座を争いました。当時は、アマチュアが技術・知識の両面で優れていました。それを裏付けるように第1回の日本オープンは、アマチュアの赤星六郎さんが2位のプロゴルファー浅見緑蔵さんに10打差をつけて優勝しています。
しかし、その後はプロの技術が向上し、アマチュアがベスト3に入ることが困難になりました。歴史を紐解いてみると、第3回大会で赤星六郎さんが3位に入って以来、1993年に琵琶湖カントリー倶楽部で開かれた第58回大会で片山晋呉さんが3位タイに入るまで、アマチュアがベスト3に名を連ねるには、実に65年の歳月を要しています。
このようにプロとアマチュアの技術的な格差が開くなか、JGAは日本オープンで最もいいスコアを出したアマチュア選手を「ローアマチュア」と呼び、その栄誉を称えています。
ここでは、2000年から門戸開放によって名実ともにナショナルオープンとして新たなスタートを切る日本オープンと、同じく門戸が開放された日本女子オープンと日本シニアオープンの実施概要をご紹介しましょう。 |