2000 DECEMBER vol.64
 その年、JGAから正式な競技開催日程が発表された。日本オープンの開催は10月の第3週。在原さんはほっと胸をなで下ろした。「2週間、開催が遅くなって本当によかった。たとえ、夏を越えて芝が病気になっても、2週間あれば十分補修できる。それに第1週は秋雨の時期。刈り込みはできても目土ができない。この2週間の猶予はキーパーにとって実にありがたい」。そう言って、在原さんはいつも通りにコース巡回に出かけた。それからの1年間、在原さんの死闘とも言えるコース作りが始まったのである。
 その過程の中で、実際に過去5年間の開催コースへ出かけたことがプラス材料になった。とりわけ、在原さんに大きな示唆を与えてくれたのは小樽カントリー倶楽部。北海道の広大な自然の中に展開する小樽では、日本オープン開催にあたって、全長を7200ヤードという過去5年間では最長のセッティングにした。開催期間中は、雨と風、そして寒さが選手を襲い、スコアが伸びず、優勝スコアは10オーバーとなったのは記憶に新しい。

 小樽では、立地条件を最大にいかしてセッティングを施していた。それを目の当たりにした在原さんは限られた条件の中で最善を尽くすこと、弱点を逆手にとって選手たちに“罠”を仕掛けることを決意した。
 在原さんは語る。「日本オープンの開催コースはどこも難しく設定してあったよ。でも私は意地悪をしたくない。“罠”は仕掛けても、しっかりとした戦略で攻めれば、スコアが伸びる、そんなフェアなセッティングをしたい」。そんな思いでコースセッティングを進めていった。
 そして、その思いは日本オープン開催3週間前に報道関係者を招いて行なわれたメディアデーで報われる。
 『ティショットの落とし所となる270〜280ヤード地点のフェアーウェーは狭く、ラフも長い。いわゆる日本オープンらしいセッティングで簡単には攻略できないと感じた。でも、ティショットをアイアンで刻む場合はそれほどの緊張感は感じられないだろう。この難しさは選手にとってフェアなものだと思う』。前年度優勝者として、この日鷹之台をラウンドした尾崎直道が、ラウンド終了後の共同インタビューの席上、記者たちにコース印象を聞かれ、答えた言葉である。インタビューに同席した在原さんは尾崎直道の言葉を聞きながら、静かにうなずき、微笑んだ。

 在原さんと尾崎直道は30年来の知りあいだった。実は、鷹之台のメンバーの中に、高校生の尾崎直道が足繁く通っていた練習場の経営者がいた。在原さんがたまにその練習場にでかけて芝の様子を見ていた際、必死で練習していた少年こそ尾崎直道だった。
 メディアデーが終わり、在原さんは思わず、駆け寄った。そして2人だけの記念写真を撮った。せっかくの記念写真だが、2人ともどこか引きつった表情。もうすでに、この時2人はライバルとなっていた。


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