2001 MARCH vol.65
 神戸ゴルフ倶楽部の歴史を語る上で、欠かすことのできない人物が、同クラブの生みの親、アーサー・ヘスケス・グルーム氏(以降グルーム)。彼は、イギリスの由緒ある家に生まれ、1868年(明治元年)に兄の手伝いのため22歳で神戸に上陸。来日と同時に18歳の武家の娘、宮崎直と結婚し、15人の子供をもうける(うち6人は夭折)。日本への理解が深く、また夫人・直の仏教的な信仰の深さもあり、年を経るにつれ、日本への愛着をより深めていく。

 グルームがゴルフ場をつくったきっかけは、当時未開の地であった六甲山を開発したことが始まりである。六甲開山の動機は、趣味のシューティングで多くの動物を殺めてしまった反省から、その罪の償いとして神戸の人々の役に立ちたいという意志から生まれたと伝えられている。

 1895年(明治28年)、グルームは外国人を中心とした別荘地帯を建設。六甲山上は、神戸市内よりも気温が8、9度ほど低い避暑地で、リゾート地として大いに賑わいを見せた。彼は六甲山の植林や桟道の整備開発に尽力し、人々が利用しやすい山づくりに努めた。六甲山上に建てられたグルームの邸宅は、神戸居留地にある彼の商館が101番地であったことから、通称「101」と呼ばれ、次第に人々に親しまれていく。


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