日本初のゴルフ場は4ホールでスタートした。グリーンには「サンドグリーン」と呼ばれる特殊な方法を採用していた。これは粘土を固めた上に薄く砂をまいたもので、風の強い日にはボールが動いてしまうほどの高速グリーンだったという。また、円状のグリーンは周囲のフェアーウェーよりも30cmほど下がっており、グリーンに球が「乗った」とはいわず、「入った」と呼んでいたという。
完成当初は、グルームのプライベートコースであったが、このゴルフ場の噂は瞬く間に神戸中に広がり、さらに横浜、長崎などにも伝播していく。ところが、ゴルフ場に来場者が続出するに伴い、コース維持・管理費に多額の出費がかさみ、運営はグルーム1人の手には負えなくなり、もはや組織化することを余儀なくされたのである。プレーヤーの希望もあり、5ホール増設にも着手し、1903年(明治36年)5月24日、神戸GCは9ホールとして正式に開場する。同年2月、創立総会に先立ち、「内外人を問わずゴルフに興味のある方はこの会合に出席されたし——」と英文新聞広告にグルームの声明が述べられており、国籍の差別なくゴルフを愛する人に広く門戸を広げようという姿勢が伺える。
開場当時のこのゴルフ場は、入会金10円。クラブのオリジナルメンバーは134人(うち日本人は6人)。また道具についても、クラブのシャフトはヒッコリーで、ドライバー、バフィー、スプーン、2、3番アイアン、マッシー・ニブリック、ニブリック、パターの8本が主に使われていたようだ。ボールは、ゴム状樹脂製のソリッドボール「ガッタパーチャ」。飛ばし屋でも200ヤードを超えることは不可能と言われ、飛距離に関しては現代とは格段の差があった。 |