勝負の流れはスタート直後にシーハンに傾いた。最終組、1打差で追う片山は1番、いきなり3パット。2番はグリーン奥にこぼしアプローチも寄せきれず、ショートパットも外れた。さらに4番パー3、シーハンは奥3メートルの下りのパットを沈めてバーディーを奪ったのに対し、片山はまたも短いパーパットが入らなかった。
片山の乱調がシーハンを冷静にさせた。9番、シーハンはティーショットを左の木にあてようやく5メートルに3オン。一方の片山は5メートル強のバーディーチャンスにつけたが、そのパットは入らず。逆にシーハンは強いフックラインを入れるナイスパーでピンチをしのいだ。
「キーホールだった。片山
はパットも良くなく流れに乗れていなかった」当面のライバルの後退でシーハンに余裕が生まれた。「他の選手もバーディーが出ず、追い上げてこなかったし、インではバーディーを狙うより、パーを積み重ねていこう」作戦変更は、さらに安定したプレーにつながった。
完敗の片山に声はなかった。「パットのラインが読めず、タッチも悪かった」ホールアウト後、言葉は断続的。早々とコースを後にした。
練習ラウンドを含め7ラウンドをこなし準備した片山だった。だが、努力は実らなかった。しかし、シーハンもまた今大会に向け準備はおこたりなかった。練習ラウンドは2日間で1ラウンド半。片山に比べ明らかに少ない。しかし、豪州メルボルン出身の29歳は欧米ツアーを歩いた後の2002年、日本にやってくると下部ツアーでシード権を手にしている。花開いたのは2004年、フジサンケイクラシックで初優勝。続く日本シリーズで2勝を上げた。着々と力を蓄え、今季は夢である米ツアー挑戦をめざし、日本とあわせ米下部ツアーにも挑戦、来年の出場権をほぼ手中にしている。
「こうしてビッグな大会に勝ち本当にうれしい。これで夢であるアメリカにいける。ベストを尽くして結果が出たんだ、さらに次の決断を下す時がきたんだ」
賞金が大幅アップした日本オープン。4000万円のビッグマネーはオーストラリアの中堅選手へと渡った。「1日2アンダーパー、4日間で8アンダーパーになればおもしろい展開」といった試合前の野口競技委員長と川田太三副委員長はがっちりと握手を交わした。シーハンのしたたかなゴルフが際立った。50年振りに霞ヶ関西コースで開催の伝統の大会を引き締めて見事だった。
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