52歳中嶋常幸から16歳の高校1年生、石川遼まで。ゴルフならではの広い年齢層が活躍した歴史的な大会だった。最終ラウンドのギャラリー数1万1981人、4日間で3万4039人。日本オープン史上最多の1996年大会(茨木・西)の4万278人には及ばなかったが、史上2番目、東京首都圏での開催では最多の観客動員数を記録した。
「石川君はじめ、若い選手がもり立てた大会。良い刺激をもらったし、ベテランもがんばらないとね」中嶋は練習ラウンドを2ラウンドこなし、大会も含め6ラウンドを戦っていた。「体調維持を最優先に練習日は2日間、1日ハーフだけ」の”戒め”を崩したのは石川遼の存在があった。「日本ゴルフ界が
生んだホープは遼君だけでなく元気な高校生がいっぱい、黙っていられなかった」石川に声をかけ18ホールのラウンドは、将来を賭けたレッスンだった。そのため、最終ラウンドは持病の背筋痛で痛み止めのクスリを4錠も飲んだ。「ぼくの27位の成績はすごく不満だが、若い子がいっぱい良いプレーをして成果をあげている。彼らの頭は米ツアーで勝つという思考回路なのでしょ?応援を惜しめませんよ」
石川は惜しくもカットを喫したが、決勝ラウンドには18人のアマチュアのうち、7人が突破。薗田峻輔、宇佐美祐樹ら10代が6人。その内の一人、永野竜太郎は「ぼくらが頑張ることで、トーナメントの主催者がジュニアに目を向けてくれ、試合のチャンスを与えてくれるなど応援を感じる。良いプレーヤーになってお礼をしたい」といった。
好ムードは中心選手の活躍も引き出した。優勝争いは2004年チャンピオンの谷口が一昨年の勝者、片山を破った。2003年優勝の深堀もからんで激戦は中身が濃かった。しかも、賞金レースで谷口が首位、2位片山の激突となった。「優勝スコアは4から8アンダーパーの争いとみて、コースセッティングを施した。最終ラウンドは68がベストスコアと見ていたが、谷口選手の66にはビックリ。レベルがあがってきた。喜ばしい」野村惇・競技委員長。その谷口に14番で1打差まで迫った3位の深堀がいった。「谷口選手には負けたけど、コースには負けなかった」
ゴルフ界が一体となって作り上げた72回大会だった。
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