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【佐藤信人は、日本オープンが新たな出発点に】 |
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第4日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:G.Kobayashi / Y.Watanabe |
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72ホールを終えて、クラブハウスへと戻ってくる佐藤信人の顔には、悔しさと充実感と収穫が入り交じっていた。
佐藤は、最終ラウンドを前に「こういう(緊張した)ゴルフになることは覚悟していた」という。「最終ラウンド最終組は、一段も二段も緊張が違って、朝から手の動きが普通じゃなかった感じでした。最後は、クラブを振って球を打っていただけでした。でも、崩れながらも、我慢したのは、いい勉強・経験になりました」
まるで初優勝を経験する選手のように彼は、語り始めた。
それもそのはずだ。彼にはブランクがあった。ツアー通算の優勝回数は、9回ある。けれども、最後に優勝したシーズンは、2002年のフジ
サンケイ・クラシックと日本ツアー選手権の2勝である。以来、彼は一度も優勝していない。その間、欧州ツアーに挑戦し、さらに帰国して日本ツアーに出始めたころに、パッティング・イップスにかかってしまって、シード権も失ってチャレンジツアーの生活が始まったのである。
第3ラウンドを終えて通算6アンダーパーで首位。2位は2打差のネベン・ベーシック(豪州)そして、3位には、4打差で裵相文。ようやく訪れたイップス脱出と優勝争いだった。「ここはおもいっきり地元なので、子供の頃の同級生とか近所の方とかみえて、今回実家に泊まっているけど、そういう見えない力、応援が大きいのかな。実家は幕張、(コースからは)20分ぐらいなんです」
佐藤が上位にくると、彼の苦労を知っている人たちが、18ホール、つきっきりで声援を送る。「その声援が、とても熱くビシビシ感じましたよ」と、彼のキャディさんも語る。
最終ラウンド。佐藤のゴルフは、昨日までとは違って、緊張が外からでも見て取れた。3番でボギー。そして7番でもボギー。さらに10番では、ダブルボギーと崩れる。それでも、2アンダーパーで首位を走る裵相文や久保谷健一と並んでいた。
バーディチャンスが、まったくなかったわけではない。むしろ、18ホールで半分ほど、チャンスをことごとく外したという印象が強い。普通ならば、そこで集中が途切れて、ズルズルと後退するような、辛い苦しいラウンドだった。「崩れながらも、我慢したのは、いい経験・勉強だった」というコメントは、そのことを言っているものだ。
1アンダーパーで迎えた18番ホール。先に上がっていた久保谷と裵の2アンダーパーに追いついてプレーオフに残れる最後のチャンス。その4メートルの距離をわずかに左に外してしまい3位にとどまった。「あんなにフックするとは……真っ直ぐかなと思ったんですけど……。まあ、一日中ビビっていたので、打てなかったし、それで最後は切れたのかなと思います」
佐藤は、イップスを克服したといっていい。それは、この苦しいゲームの中で、耐えぬいて来たという自信が増えたからだ。
この3位の賞金、1540万円で、シード権もまず間違いないだろう。「いまは頭が真っ白なので、ゆっくり考えて、次の目標を立てて、それに向かっていきます」
彼の人間味溢れるゴルフは、これから新たな出発となるはずだ。
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