|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
JGA HOME
|
|
| | | | | | 日本オープンは、(財)上月スポーツ・教育 財団の助成を受けています。 |
|
|
|
|
|
|
|
【AON千両役者が魅せた第1ラウンド】 |
|
|
第1日
|
|
競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi & Y.Watanabe |
|
|
使い古されたことばかも知れないけれど、このAON、青木功・尾崎将司・中嶋常幸の3人が揃うと、やっぱり「千両役者が出揃った」という言葉が、ぴったりである。
この日、震災復興支援グリーン・ティー・チャリティー、沖縄復帰40周年記念事業の一環として開催された本選手権に特別承認されたAONが、同じ組でスタート。ギャラリーが、どっと3選手を囲んで応援していた。
終わってみれば、中嶋が2オーバーパーで6位タイ。青木が8オーバーパー。尾崎が9オーバーパー……昨夜のチャンピオンズディナーでは「8オーバーパー以上は、キャリングボードに数字を載せないで、ハートマークにしてよ」と言っていた尾崎が、そうなってしま
った。もちろんハートマークは、なかった。AONが、最終ホールにやってくると、大きなリーダーズボードに「THANK YOU A・O・N!」と掲げられた。
その後の3人揃ってのインタビューでは、お互いに舌戦。
「(明日は)少しでも競り合いたいな」(青木)
「青木さん、誰に言ってるの? 常幸は、いま首位戦線なんだよ、え? 6ストロークも離されているんだから(笑)」(ジャンボ)
「いや、だからトミーじゃなく、ジャンボと競り合いたいって言ってるの!」(青木)
「(今日)何が悔しいって言ったって、青木さんに負けたことが、いちばん悔しいよ、俺は……」(ジャンボ)
「いや、これホントだけど、この二人と一緒に回れるって、ほんと嬉しいし、愉しいよ」(中嶋)
思えば、この3人の日本オープンのタイトル総数は11……尾崎が最多で5勝。この40年の間に、AONの活躍は、日本のゴルフ史に残るものばかりだ。
1983年大会(六甲国際GC)では、青木功が日本オープン出場16回目にして初優勝。この年の春先にハワイアンオープンで優勝した年である。
1973年日本オープン最終ラウンド、18番ホール、500ヤードを超えるパー5の第2打だ。6番アイアンで打ったボールが引っかかって左池の渕に飛び込み、そのままOB杭の外にでた。土壇場での敗退。以来、青木はフェードボールを会得して世界へと飛躍していくのだが、日本オープンのタイトルだけは獲れなかった。それがきっかけで、青木は、ドローボールから、一転、フェードボールに持ち球を変えた。ものすごい努力と練習で、フェードを自分のものにした。
「金で買えるものなら、いくら出しても欲しいタイトル……。このタイトルが欲しくて必死にやってきたんだからね」と青木が、言い出したのは、1977、78年の3位タイ。79、80年の2位タイ……と、いつも泣かされていて、さらに、惜しかったのは1979年には、プレーオフまで持ち込んでいながらの敗退からである。そして、1983年、六甲国際ゴルフ倶楽部の最終ラウンド。青木が土壇場でT・ゲールに追いつき、プレーオフ。1ホール目の17番は、共にパー。続く18番ホール、420ヤード、パー4で青木は果敢にドライバー、ゲールは3番ウッド。残り220ヤードほどの距離を4番ウッドで攻めた。ピンが左サイドに切ってあった。グリーン左のバンカーから見事なフェードボールでピン左3.5メートルにぴたりとつけて優勝した。勝負の1打をフェードで攻めて勝ち取ったのである。
AONの戦いといえば、1986年大会(戸塚CC)と1988年大会(東京GC)である。1986年は、最終ラウンド。残り9ホール。そこに中嶋、青木、尾崎が1打差ずつ並ぶ熱戦。青木が、11番でボギー。13番をバーディという苦しい展開。尾崎も14番でようやくバーディ。中嶋も、なかなかバーディがとれず。ようやく16番でバーディとし通算4アンダーパー。最終組の青木も17番でバーディを奪い通算3アンダーパー。先にホールアウトしていた尾崎は3アンダーパーの激戦を勝ち取った大会である。
中嶋常幸の史上3人目の2連覇。これは日本人選手としては50年ぶりの快挙だった。
「青木さん、ジャンボさんとの戦いに勝てたというのは、とても嬉しい。ラウンド中、AO(のゴルフ)がとても怖かった」と中嶋は語った。中嶋は、この優勝を含めて年間8勝し、2年連続の賞金王となった。
そして1988年は、尾崎が14年ぶり2度目のタイトルを獲った大会だった。中島常幸が、16番ホールで痛恨のダブルボギーを叩き、尾崎将司、青木功、中島常幸が、とともに5オーバーパー。青木は、1組前でのプレー。残り2ホールの闘い。尾崎は、5番アイアンでピン左手前12メートル。中島は4番アイアンでピン奥4メートル。でも、中島は難しい下りラインの距離だ。尾崎は、そこで会心のパッティングを見せて、バーディをもぎ取った。尾崎、4オーバーパー。中島5オーバーパー。青木、6オーバーパーで、最終ホールに向かった。そして最終ホール。およそ70センチのパッティングを入れれば優勝という場面で、彼は2回仕切り直しして見事に沈めて優勝したシーンである。
尾崎は、この大会も含めて日本オープン通算5勝を果たしている。
……個性が際立つ。それがまたゴルフの、トーナメントの面白さだとすれば、このAONの個性は、不滅かも知れない。
「明日、1番ティーインググラウンドで、俺独りは嫌だからね」と中嶋が言うと「そんなことさせないよ。這ってでも行くから」と青木が言う。
やっぱり面白いAONの丁々発止だった。
|
|
その他の記事はこちら
|
戻る
|
|
|
|
|