|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
JGA HOME
|
|
| | | | | | 日本オープンは、(財)上月スポーツ・教育 財団の助成を受けています。 |
|
|
|
|
|
|
|
【逆転初優勝の久保谷は「6位に入れればいいと」】 |
|
|
第4日
|
|
競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi |
|
|
18番ホールをホールアウトして、スコアカード提出所へ向いアテストをしているとき「プレーオフがあるかも知れませんので準備しておいて下さい」と久保谷健一は告げられた。
「……?」一瞬、なんのことか理解できなかったという。
「えっ?」っと久保谷は聞き返した。するとパグンサンが、17番でダブルボギーを叩いて並んでいると言われた。ウソだろう、という思いが先にたった。
久保谷は、18番ホールを終えたとき「やっと終わった」という気持ちだけが、実感だった。
「ともかく、あと何ホールあるんだろう。そうだ、まだあと5回もグリーン上でパッティングしなければいけないんだ……」そんなことばかりプレー中に考えてい
た。
「普通ならば、試合の火曜日に自分のスウィングなど調子を整えて試合会場にきて、練習ラウンドでゲームプランを練って、準備万端で試合に臨む……そういう人が、上位に来る人、強い人。でも、僕は、それどころじゃないんですよ」。
久保谷の問題は、パッティングにあった。それが唯一無二の悩みの種だった。
「アドレスして、クラブヘッドがスーっと上がってしまえば問題ないんですよ。上がるまでが、問題なんです。今日だってパッティングに悩みぬいて、何度も打ち方を変えていましたから……ええ、5回は変えました。スタンス幅、クラブを短く持つとか……」
スタートして「本日3回目のスタイル」10番(パー5)でイーグルがとれた。
「でも、打ったときは、あっ強い! って思ったんです。でも強いって思ったときが、いちばん転がりがいいんだけど、自分としては、外れたらとんでもなくオーバーしそうな気分で気持ち悪くて……」という具合なのだ。
この1週間、いやそうではない。久保谷にとっては、毎試合出場するたびに、悩みの奥深くまで入り込んでしまうパッティング。それが、ずっと続いている。
「だから、強い風が吹いたから難しいとか、ラフが深いから厄介だなんて考える余地もなかった、というのが本音ですね。風は、右から吹けば右に向いて打てばいいし、左から吹けば、左に向いて打てばいい。それがラフに入ったら出せばいい。風は、楽なんですよ。スウィングのせい(原因)にしないで済むでしょう。それに、大きく曲がっても、ギャラリーの人たちが、スウィングが悪いから曲がったのでなく、風が強いから曲がったと思ってくれますからね。でも……パッティングだけはねぇ」。
第1ラウンドから、練習といえばパッティングだった。第1ラウンド74(3オーバーパー)、第2ラウンド73(2オーバーパー)、第3ラウンド75(4オーバーパー)で、通算9オーバーパーの6位タイで最終ラウンドを迎えた。
「今日は、6位以内に入れればいいなぁ、ぐらいにしか思っていなかったんですよ」と言った。そうは言いながらも、昨夜、真っ暗になった7時過ぎまでコースにいた。ギリギリまでパッティングの練習をしていたのだ。
久保谷が、無我夢中でパッティングのことばかりが、脳裏から離れないでプレーしているとき、上位陣が、バタついていた。
宮里優作も12番でボギー、15番でバーディ、そして16番でボギー。平塚哲二も、11番バーディのあと、12、14、15、16番でボギー。彼らふたりの照準は、パグンサンだった。2打差が詰められない。3打差になる……という距離感で右往左往していた。
けれども、久保谷の真相は、彼らのことなど眼中になかったわけである。
「もうダメだ」というのが、プレー中の久保谷の口癖らしい。キャディの佐々木孝英さんが言う。
「今日は、たぶん20回以上、いやもっとかなぁ」ティーショットを打てば、もうダメだ。パッティングで構える前に、もうダメだ。
でも、ひょっとすると、それが久保谷のスイッチだったのかも知れない。
一病息災という言葉がある。どこかに病を一つ持つと、それゆえに、注意力、ケア、慎重さなどが自然に湧きでてきて、むしろ災いから免れる。
久保谷にとっては、それがパッティングだった。
「18番のパーパットは目を瞑って打ったようなもんなので、引っかけ病治らなくて、どうやっても手が悪さして、そろそろ長尺でも、いやまだ早いとか、葛藤していました。勇太と一緒に回って、勇太のパットをどうにかして盗もうと思っていたけど、完璧なストロークであれは無理だなと。上がっちゃえば良いけど、上がるまでがこれじゃどこか行っちゃうと。距離合わせるのが怖いから過剰にショートしちゃう。ライン引っかけてショートするから、どんどんカップから遠くなる。今日1回、昨日1回と3パット。多いわけじゃないけど、5m以上だと寄せに行っちゃう」。
苦悩の中でプレーしていた久保谷だった。それが逆に、無欲につながり、どんな状況のショットでも、考えすぎず、決断力だけを決め手にして打ったのが、功を奏したのだろう。
久保谷は、謙遜する。
「僕が優勝したらマズイですよ。平塚(哲二)あたりが勝たないと。奴が一番近いと思ってたので、仲間としてあんまり喜べない。哲二が勝って俺が2位でシード決まるというのが良かったですね。平塚はグリーン周り自信を持っていたので、ああいうやつが取らないといけない。ああいうやつがこれからもオープンの上位に来ると思うので……。なんか、いまの心境は、今年の全英オープンのアーニー・エルスみたい」。
この優勝で久保谷は、日本プロ(2002年)と日本オープン勝者となった。
「たまたま日本プロ、オープン勝っただけで、それに照準合わせられる選手じゃないと思っているので……それまでの練習支度は誰よりもやってるつもりだけど……。やっぱり、最後の目標はショートゲームになっています。今までショットで真っ直ぐ、良い球打つのがカッコいいと思っていたけど、今はショートゲーム上手いのが理想ですね。こんな苦しい仕事を選んでる自分が悪いけど、勝ちたいというより、多少気持ちよく回りたい。スコアとかより、あの球の感触良かったとか、多少気持ちよく回りたい」。
そして久保谷は、最後にこう語った。
「まだ報われるほどのゴルフが出来てないけれど、……ただ神様は見ててくれたのかな、と思いますよ」。
久保谷健一選手の言うとおり、どこかでゴルフの神様が、苦悩や努力、ひたむきさを、しっかりと見守っていてくれたから、このタイトルが獲れたのだと思う。
|
|
その他の記事はこちら
|
戻る
|
|
|
|
|