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【チャンピオンズディナーでの予言実現なるか、片山が首位タイスタート】 |
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第1日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:G.Kobayashi / Y.Watanabe |
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大会が始まる直前の水曜日に、恒例のチャンピオンズディナーが開催されている。そのとき、出席した歴代チャンピオンたちが、日本オープンのトロフィーをまじまじと見つめていた。写真を撮り、触り、改めて日本オープンのトロフィーの重みを味わっていた。
「この時と最終ラウンド、優勝した選手しかこれに触ることができないんだよねー」と誰かが言った。するとすかさず片山晋呉が「最終ラウンドにこのトロフィーに触れることができるのは、僕だな」と呟いた。
片山は、その言葉通り、第1ラウンドで好調な滑り出しを見せた。
このコース、1~3番まではいきなりの難所だ。そこをうまくパーで切り抜けたあとの4番でバーディ。7番
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でもバーディで前半を2アンダーパーで折り返 した。
「昨日までの台風の影響でグリーンが止まりやすくなっているし、折り返したときに、みんなアンダーパーで回っていたので、いけるところまで行こうという気持ちで折り返したんです」。
11番でバーディ。12番でボギーを叩いたけれど、14、15、18番でバーディとし、この日66の5アンダーパーで首位タイのスタートである。
「いまは(2週前に久しぶりに優勝しているので)不安要素がありません。あとは、気持ちのコントロールだけです」と、憎らしいほど強かったときの片山の表情を見せた。
長い間、片山はスランプだった。いやバーンアウト(燃え尽き症候群)していた。思えば2008年に日本ツアーで通算25勝を果たし、賞金王になり、その翌年(2009年)にはマスターズで4位という成績を残してから、片山の羅針盤は、方向を指さずに空回りしていた。
「誰に相談しても、答えが無いわけですよ。そこまで上り詰めた人がいなかったわけですからね。正直、ここ数年、抜け殻でプレーしていたようなもの。何故か、燃えない。火がつかない。どうしよう」と想い続けていた。
誰に聞いても心にグッとくる答えは帰って来なかった。そんな折り、昨年の日本オープンの練習日に中嶋常幸に一緒に練習ラウンドをして欲しいと頼んだ。そのとき「中嶋さんに、言われました。お前は燃え尽きたといっても、まだ灰にはなっていない。炭の芯は十分に残っている。火種は消えていな い。だから、焦らずにじっくり火種をともして、また燃やせばいいじゃないか…これはありがたかったです」。
今年の春先。この12年間、オフのキャンプをしている宮崎フェニックスで片山は「今年の目標は、2勝、そして賞金王」と自分に課した。「火種が灯っていて、その火種を大きくすれば…と片山は、あらゆる練習、工夫、体調管理をしていた。「その頃から、今年はやれそうだ」という確信を持ったという。
「チャンピオンズディナーは、プロゴルファーにとっては、幸せな時間なんです。勝者しか味わえない時間。最高ですね」。
2010年から提供された歴代優勝者と、その年の優勝者に贈られるようになったチャンピオンブレザー。片山は、チャンピオンブレザーを手にしてから、日本オープンには必ずチャンピオンズブレザーを着て、クラブハウスに入っていく。そして今日のプレスインタ ビューも、である。それが勝者のプライドなのだろう。
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