ディフェンディングチャンピオンのプラヤド・マークセンが連覇に向けて強烈な先制パンチを放った。奪ったバーディは9つでボギーはゼロの63という快スコアをマークしてのトップ発進である。練習ラウンドでコースの状態はつかめていた。攻略法も、すぐに判断できたという。「昨年の舞台に比べて、今年は易しく感じた。ドライバーショットでも、コントロールを優先にしたスウィングをすれば、フェアウェイをキープできるし、そこからウェッジでピンを狙えるホールがたくさんある。ビッグスコアを出せるコースという印象だった」。
第1ラウンドのスタート前練習。ドライビングレンジで手にしたのは52度と60度のウェッジ2本だけで、距
離のチェックを入念に繰り返した。1番(パー5)からのスタートで、ドライバーショットは「7割ぐらいのスピードで打ち、スピンの多い弾道にして落下してから転がらないショットを打った」とフェアウェイをとらえた。そして2オン。ところが、3パットでパーに終わる。6番では、2メートルのバーディパットを外した。
なぜ、ミスしたホールから先に書いたかといえば、この日の18ホールで、ミスは、この2回だけだったからだ。後は、20センチから50センチに寄せたのが3ホール。2メートル以内が3ホール。3メートル以内が2ホール。11番の6メートルが唯一6メートルという距離で、ことごとくバーディを決めた。ショットでのミスは10番。3番ウッドでのティーショットをスライスさせて右ラフに入れた1打だけ。グリーンを外したショットは、ただの一度もなかった。「だから満点といいたいところだけど、少しだけミスがあったから98点」と第1ラウンドのゴルフを振り返った。
コマツ・オープンでは、金鍾徳にプレーオフで敗れ、タイに帰国した。滞在は1週間。「休みの日でもゴルフをやっている」という、ゴルフ大好き人間のマークセンが、この1週間でクラブを握ったのは1日だけだったという。コマツの敗戦がダメージになっていた。試合期間中にパターを取り換えなければならない事態があり、それにうまく馴染めず、不本意な結果になったのだそうだ。そこで、タイで心掛けたのは、第一に気分転換であった。そして乗り込んできた日本シニアオープンの舞台。息子のアイさん(22歳)を伴っての再来日だった。2008年の三菱ダイヤモンドカップで日本のレギュラーツアー初優勝を飾ったとき、同伴していたのが、当時14歳だったアイさんだった。それ以来のラッキーパーソン同伴にも、今大会への意気込みがうかがえる。
今年の目標は「シニア賞金王になってアメリカのチャンピオンズツアーのQTに挑戦すること。だから賞金額の大きな日本シニアオープンの勝利は逃したくない」と明言するマークセン。連覇に視界最良好のスタートを切った。
|