アジアパシフィック ダイヤモンドカップゴルフ。浅地はマンデートーナメントを突破して出場権をつかんだ。せっかくのチャンスである。最終ラウンドまで、粘り抜いた。ショットが万全だったわけではない。グリーンを狙ったショットがはずれる。最終ラウンド、実に10回のワンパットでのパーを数えた。グリーン周りでの寄せは、ピッチアンドランあり、ロブショットあり…と、多彩な技を見せ、バンカーからもスピンを利かせたり、ランを使ったりと、状況に応じたショットでピンに寄せた。ピンチをしのぎ切っての初優勝であった。
2016年はドライバーショットが荒れた。2017年はパッティングで手が動かなくなるイップスにも襲われた。デーブ・ストックトンのパッティング教則本を何度読み返したことか。そんな長い苦しみの先にたどりついた初優勝であった。トンネルを抜けると、ANAオープンでの5選手によるプレーオフを制するツアー2勝目が待っていた。
関西オープンでプロ10年目にしてツアー初優勝を果たした大槻も厳しいプロ生活を送ってきた。2010年にプロ転向したものの、そこからの7年間で出場できたツアー競技は、わずか3試合だけだった。日本大学時代は、小平智と同期でアマチュア界をリードする存在だったが、プロでは、さっぱり芽が出なかった。2017年にチャレンジツアー(現AbemaTVツアー)の賞金王になって、ようやくレギュラーツアーまで這い上ってきた。大槻もまた、令和になって大きな花を咲かせた。
日本ゴルフツアー選手権で初優勝した堀川は、コンビを組んだ清水重憲キャディーに3つの約束ごとを突き付けられた。①120ヤードからは2ピン以内につけること②アプローチで距離感を出すこと③パッティングでタッチを合わせること―。それまでの大雑把なゴルフから、ち密なゴルフに変貌を遂げた先にあったのが、第1ラウンドから首位をひた走る完全優勝だった。
KBCオーガスタでは、比嘉が涙の初優勝を果たした。身長のことを聞かれる度に繰り返していたことがある。「小さいのは、しようがないじゃないですか。その体で準備できることに全力を尽くす。それをどこまで徹底できるかでしょう。僕は、結果を出せるまでやると決めています」。その結果を、KBCオーガスタで出して見せたのだった。
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