第2ラウンドの最終ホール。ラフからのショットで背中を痛めた田村は、ホールアウト後にコースから池袋に向かいトレーナーのマッサージを受けた。昨日も、同じことを繰り返した。
「背中の痛みには、毎年夏場を迎えるまで苦しめられてきたから、いつもの症状になったら大変だぞ…って、ちょっとナーバスになっていたんですけど、思ったより悪い状態にはなっていなかったので、ちょっと安心しました。痛みが、消えたわけではないので、今日はスタート前とラウンド中合わせて3回痛み止めの薬を飲んで、プレーを続けました。そういう状態で、自分としてはできる限りのことはやったぞ…という納得の最終ラウンドになりました」。
倉本昌弘
に「これからは、ゴルフに恩返しする年齢になったんだから、プロ入りして業界に貢献しろ」と言われ、プロテストに挑み、49歳の新人プロとなった。このとき、田村は、自分なりに計算していた。
「実は、シニアツアーで戦うとしても、バリバリ活躍できるのは5年間かな。やるだけやって、シードを守れなくなったらツアーを引退しよう。そう思っていたんです。5年が過ぎましたけど、諸先輩から“もっと長くツアーで戦え”と発破をかけられますし、自分がまだゴルフでの役割があるなら、そうすべきかな、とも思います。それに私事で恐縮なのですが、息子が神戸大学に進学してゴルフ部に入ったんですよ。だからオヤジとしては、もうちょっと試合で頑張って父親の威厳てやつも示しておかなけりゃいけないかな…なんて考えたりもしましてね」。
4位となったことで、来年の日本シニアオープン(愛男)への出場権も確保した。今シーズンの賞金ランキングも10位に上昇し、シードキープも見えてきた。プロ入り当時の計算は、忘れて、最終ラウンドのゴルフのように“自分にできることは、やり切った”といえるところまで戦い続けよう。
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