最終ラウンド最終組の谷口徹とタワン ウィラチャンの組は、ずっと重苦しい空気に包まれていた。とりわけ谷口のゴルフが、3番のボギーから目まぐるしい出入りがあるなか、ウィラチャンは、対照的にずっとパープレーが続く。スコアが動かないウィラチャンのゴルフが、余計不気味に映し出される。谷口、5番バーディ。7番ボギーで、一時は1打差まで詰め寄られていた。9番は、お互いにバーディ。1打差は、変わらず。ゲームの流れが動いたのは、後半になってからだ。11番(パー5)で谷口は、ガッツポーズがでるナイスパーだった。これが、谷口の流れを変えた瞬間だった。第1打をバンカーに入れて、ほぼ出すだけ。ドタバタした挙げ句、結局、
3メートルのパーパットの距離を残した。それを沈めてのパーだった。
その好転した流れが、13番(パー3)でのバーディに繋がったといえる。5メートルの下りのダブルスネークのライン。「これは絶対に沈めておかないといけない」と谷口は、思った。見事に沈めて通算9アンダーパー。ようやくウィラチャンを突き放す。
この春に聞いた谷口語録のひとつに、こんな言葉がある。「僕の中では、努力は報われないと思っているんですよ。でも、自分でもっとこうしなければ、あれもしなければと思ってやるわけですよ。報われない努力を日々やっていかないといけない」という言葉が、50歳を越えてもレギュラーツアーで戦っていける根底にあるのだろう。
50歳で優勝した昨年の日本プロゴルフ選手権。その後にシニアツアー参戦。谷口は、「数字(的には)50だけど、自分で50歳という自覚がないですから、よくわからない(笑)。49と1つしか変わらないのにね。まあ、元気の度合い、飛距離とか? 負けてるかなぁ。でも、経験値ありますからね。ただ目立ちすぎますね(笑)。マスコミにしても、50歳優勝と取り上げられ注目されましたから。あまり目立ちすぎることは、やらないほうがいいのかな」と言っている。昨年のこの大会は、谷口にすべてが注目された。「勝つことが絶対条件のようなプレッシャーは、ほんとすごかった。今年は、それが少し軽減されたから、そのぶん気楽になれましたよ」と、笑顔で言った。
11番のナイスパー。12番のパー。13番の絶妙なバーディ。そして14番のナイスパー。大きなゲームの山場が、この4ホールにあった。静かにチャンスを待っていたウィラチャンに大きなカウンターパンチを与えた時間帯だった。
「僕は、負けず嫌いですよ。最終的には、自分が勝ちたい。負けたくないというのはあります。それは、2位と優勝の違いをいっぱい知っているからだと思う。最終ホールで、優勝者に送られる拍手と、敗者への拍手の違い……悔しくないですか?そうならないためにも、やらなければいけないことって、まだまだ、いっぱいある」とは、もうひとつの谷口語録だ。
「調子が良くなかったけど、ここぞというときにパットが決まってくれて。でも最後(18番のファーストパット)は、寄せようという気持ちで打ったら、手が動いちゃった。寄せようという気持ちは、ダメですね」と内心は、ヒヤヒヤものだった。2メートルほどの返しの距離。これを入れれば優勝。外せばプレーオフという情況でも、谷口は落ち着いていた。しっかりと沈めて、日本シニアオープン初優勝。そして、完全優勝は史上4人目(5回目)G・マーシュ(1998、99年)。中嶋常幸(2008年)、P・マークセン(2017年)に次いだ。そして、日本オープン、日本シニアオープンの両タイトル獲得は、史上3人目(青木功、中嶋常幸)である。
「やっぱり、しんどかったです。ウィラチャンは、しぶといし粘り強い。それに僕もアイアンの調子がいまひとつでね。劣勢をしのいだという印象ですね。頭では、(動きと理論が)解っているんだけれど、体がうまくできていなくてね。それを修正しないと、良くならないですね。もっといいプレーをしなければ……」と、勝利を味わうのも束の間、谷口は、すでに明日からのことが、頭をよぎっている。
次の目標は、日本オープンだという。「この試合前に、冗談で言っていたんですけど、でも、チャンスがないわけではない。とりあえずこれに勝って、というシナリオだったので、ようやくそのシナリオがスタートしたということですかね(笑)」と微笑を浮かべた。ゴルフに、貪欲なチャンピオンだった。
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