難コンディションとなった第3ラウンドをイーブンパーでまとめ、通算2アンダーパーをキープし単独4位の内藤寛太郎は、心に期していたことがあった。東北福祉大学出身で、同大学では宮里優作の2年後輩になる38歳。同大学時代のレギュラー経験は1年だけだった。卒業後、栃木県内のゴルフ場で1年間、研修生の生活を送ったが、その後郷里の福島県郡山に戻り、ゴルフショップで働きながらプロを目指していた。2006年24歳でようやくテストに受かり、QTを経て下部ツアーからスタートした。昨年までQT受験は7回。レギュラーツアーでの目立った成績はない。
今シーズンは勝負の年。内藤は、低迷から抜け出すべく、1月、2月と海
外合宿を張った。1月はグアムでトレーニングを中心に体力強化に取り組んだ。そして2月はハワイに渡ってラウンド主体の技術向上をはかった。帰国した内藤を待ち受けていたのは新型コロナウィルス騒ぎであった。試合は中止が続いた。そのとき、ラウンドに誘ってくれたのが、東北福祉大学の先輩である谷原秀人だった。「練習も兼ねてのラウンドは福島と千葉エリアのゴルフ場。谷原から、何かを教えられたわけではない。一緒にラウンドすることで谷原の動きを間近に見られる。昔ながらの“目で盗め”式練習であった。
「その中で、特に目に焼き付けておいたのは、ショートゲームでした。パッティングはもちろん、アプローチショットも谷原さんは、ものすごく上手じゃないですか。パッティングストロークでのヘッドの動きとか、ストロークのテンポとか、ライン設定の仕方。全て勉強させてもらいました。アプローチショットでも、どんな状況では、どんな軌道で、どんなテンポでヘッドを動かすのか。止めたいときのフェースの使い方も見せてもらいました」
体力強化と技術力アップ。今シーズンの初トーナメントとなったフジサンケイクラシックで、内藤は7位になった。手応えがあった。こういうゴルフをしていけばいい。そして迎えた日本オープン。最終予選を突破しての出場を果たし、70、68、70。3日間オーバーパーを打っていない。手応えを確信に。そんな思いで内藤は最終ラウンドを迎える。
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