1994年。全英オープンと全米プロ選手権のメジャーに2勝。1993年と1994年の2年連続でアメリカPGAツアー賞金王を獲得したニック・プライスが、こんなことを言っていた。
「メジャーでの本当の闘いは最後の9ホールだと思う。それまで静かにずっと我慢して、好位置につけて、そして残り9ホールを迎えて、なおかつ、自分を見失わずにチャンスを待つんだ。そうすると、ひょっとすると神様がバーディをくれるかも知れない。それがサンデーバックナインの世界だ」と。その後、サンデーバックナインという言葉が定着した。
谷原秀人と稲森佑貴の優勝争いが、まさにその言葉が当てはまる。稲森は、我慢して我慢して、そして我慢し
て、最後のチャンス、最終ホールでバーディをもぎ取った。これが、プライスの言う神様の贈り物だったのかも知れない。
スタート前、首位を走る谷原秀人と1打差。この1打差になんとか追いつき、追い越さなければいけない。前半、スコアがまったく動かなかった。稲森は、ずっとパープレーで9ホールを終えた。その間、谷原は、7番(パー5)でバーディを奪い、その差が2ストロークとなった。重苦しいパープレーの連続。稲森も時に、苦しいパーを拾い、惜しいバーディ逃しのパーもあった。
稲森のパープレー状態は、後半に入っても続いた。ようやくスコアが動いたのは12番(495ヤード・パー4)。そこでボギー。谷原も7番でバーディのあと11番でボギーを叩き、12番終了時点で、2打差となった。流れは、谷原に思えた。しかし、両者、ずっと惜しいバーディ逃しが目立っていた。
13番(425ヤード・パー4)。谷原の流れを変えたのは、このホールからだったかも知れない。稲森は、4メートルにつけた。それを沈めてようやくバーディ。次に谷原がパッティング。距離3メートルの絶好のチャンス。それを決めきれずに2パットのパー。流れが、稲森に向いて行った。
「この13番のバーディは、1つの(勝利への)要因でしたね。ティーショットがフェアウェイ真ん中、残り150ヤードを9番アイアン。ピンまで3.5メートルかな。強いフックラインを沈められました」と稲森が言う。
続く14番(451ヤード・パー4)。ドライバーショットの安定性では、ツアー随一の稲森が、ティーショットで何故か5番ウッドを手にした。落下地点の間口が狭く、より安全を求めた結果だったのだろう。ところが、それがやや曲がって右のラフ。逆に、谷原は、フェアウェイ真ん中。そこから4メートルにつけた。稲森はグリーン右手前のバンカー。3メートルにつけた。谷原が、バーディパットを外す。稲森は、見事に1パットでパーを死守した。
「勝因の2つ目が、この14番でした。ナイスパーでした。結果的にこの2つのホールがあったから、18番のバーディパットに繋がったのだと思います」
谷原のパッティングが微妙に乱れ、稲森は、我慢を重ねて、凌いでいく。この粘りが、稲森の真骨頂なのだろう。
1打差の攻防。先に仕掛けたのは、谷原だったかも知れない。17番(465ヤード・パー4)。谷原は、攻めに入った。そのティーショットが左に逸れてバンカーに入った。そこのエッジからホールロケーショは、4メートル。バンカーから下りの傾斜になる。谷原のショットは、バンカーから出ただけ。結局、2オン2パットのボギー。稲森は「ピンまで3メートル弱のスライスラインでした。入れてやろうと内心思っていたんですよ。でも、読みすぎて、あー、やってしまった、と思いましたね」と稲森は言った。でも、どこか余裕というかリラックスしている自分がいたという。「最後(18番)にバーディをとった方が勝つな、と思いました。もちろん、自分もバーディを獲ろうと思っていましたよ」と振り返る。ティーショットはフェアウェイ。そこから刻んで残り118ヤード。「ピッチングウェッジで抑えて打つか、50度のウェッジでしっかり打つか。結局50度でしっかりと決めました。それがピン横2メートル弱のフックラインにつけられたんです」稲森が求めていた最後のシーン。そこでゴルフの神様がご褒美をくれるか、どうか……。稲森は、グリーン上で、そのパッティングを読んでいるときに心拍音が聴こえてくるような感じだったという。打つ前の最後に決断したのは「いくら読んでやってきても、今日は(パッティングが)決まらない。ここは本能のおもむくままに打とう。転がりをイメージして、そう決めて打ちました」と言った。
2018年日本オープン初優勝。それから2年。「最初の優勝は、じわりじわりと実感が湧いてきてんですけど、今回の優勝は、最後のバーディをとった瞬間から、すぐに実感が湧きました」と素直に喜んだ。
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