アマチュア選手の蝉川泰果が、日本オープンに初優勝した。21歳9ヶ月12日での優勝は日本オープン史上4番目(日本人としては2番目=1929年大会浅見緑蔵の19歳280日)に若いチャンピオンだ。
蝉川は、どの選手たちも苦しむ難度の高いセッティングにも、怯むことなく「積極性のゴルフ」を72ホール変えることがなかった。それは、むやみに攻撃あるのみ、ということではない。優勝争いで6打差を追っていた比嘉一貴が「こういう難度がとても高いセッティングになると、まず守る、危険を回避しながら、少ないチャンスを待つというプレーが普通なんだけど、彼にはその中に、積極性がある」という解説があてはまる。
最終ラウ
ンド。2位の比嘉一貴とは6打差でスタート。1、2番といきなりバーディを奪って、8打差とした。5番でボギー。7打差。比嘉が7番をボギーとし、再び8打差。ところが、蝉川は9番でトリプルボギーを叩いてしまう。
「フランスでの世界アマで、僕が5打リードしていたのにひっくり返された経験がありますから、しっかりと、いいプレーをしないといけないと思っていました。もちろん6打差で最終ラウンド。やっぱり、僕がギャラリー目線でも注目されているわけですからね。勝とうという気持ちは強かったです。世界アマチュアランキング1位ということを評価してもらいたいですしね」
その9番で、比嘉がバーディを奪い、その差が一気に4打差に縮まってしまう。それでも、外側から見れば、ことさら過度なプレッシャーがあるとは見えなかった。
「あれで流れが変わったことは確かです。やばいな…と思いましたよ」第1打を4番アイアン。残り143ヤードをピッチングウェッジで打って、それが奥のラフ。深いラフで、ボールの下をくぐって、ほとんど出ず。それを2回繰り返してのトリプルボギーだった。「勝ちたいと思う以上に、いいプレーをしたいという気持ちが強くなりましたね。ですからトリプルボギーを叩いたことが、あまり気持ちに干渉せずにまわれました」
その後、蝉川はずっとパープレーを続ける。それも、消極的なプレーで守るスコアではなかった。比嘉が11番でボギー。その後、14、15番でバーディとし、一気に3打差となった。
「比嘉さんのプレーを見ていて、やっぱりプロの方はすごいなと思いました」という冷静さがずっとあった。
息詰まる熱戦。土壇場の17番で、蝉川がボギーとし2打差で最終ホールを迎えることになった。「残り169ヤードを6番アイアンで抑えて打ったのですが、思いのほか飛んでしまって……。たぶん、アドレナリンもすごく出ていたのだと思います」最終18番(441ヤード・パー4)。蝉川は、フェアウェイど真ん中に第1打を置き、第2打が、グリーン左奥のバンカー。そこからピンをオーバーしてエッジ。ピンまで6メートル。それを見事に沈めて、絶妙なパーで締めくくって栄冠を手にしたのである。
積極性のあるゴルフ。これはナショナルチームのガレス・ジョーンズ・コーチの主題である。世界のトップレベルのプレーを熟知し、分析しているコーチは、彼らのゴールを世界のトップレベルというところに置いている。「(世界の舞台で)プレッシャーがかかったとき、どんなマインドを持てばいいのか。自分をどう対処し、分析し、実行していけばいいのか」というところまで教え込む。つまり、目の前の1歩の階段をクリアして積み上げるけれど、その先のゴールを明快に表して、スケールの大きなゴルフをつねに実践し、足りない部分の一歩の階段を上がれば良いという感じなのだ。もっとも、チームの選手たちに心配りをしているのが「コミュニケーションです」と言った。蝉川も、そのナショナルチームの一員である。そんなコーチングから、世界で戦い、勝つためには「積極性が必要」ということになる。怯まない。いまや、そういう攻め方をイメージでき、実行できなければ世界トップレベルに入れない、という目標設定をしっかりと持っている。蝉川のプレーが、この大会で、異次元だと思えるのは、実は、これからの世界トップレベルの戦いの方程式を見せてくれたから、そう思えるのだろう。「Z世代」という言葉がある。1900年代後半から、2010年生まれまでの若者を、そう呼んでいる。デジタルジェネレーションである。
蝉川にしても、ほかのナショナルチームのメンバーにしても、コーチとの相談や質問は、ズームだし、SNSだし、データ分析もデジタルだ。そこにメンタルコーチとフィジカルコーチがいて育てられる時代になっている。
歴史を振り返れば、95年前、第1回大会が開催されたとき、やはりアマチュア選手の赤星六郎が優勝している。記録的には、95年ぶり2人目のアマチュア優勝である。けれども、当時のトーナメント事情と現在では、大きく違う。第1回大会では、プロゴルファーが5人。アマチュア選手が12人。計17人の参加だったし、まだプロフェッショナル・ゴルファーが誕生して間もない時代。だから、2人目という事実だけれど、実質的に初めての偉業と言っても、過言ではない。
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