台風14号の影響で、朝から強い風が吹いた。その上、大粒の雨も一時的に加わって、1時間近い中断(54分間)もあった。1打差でスタートした最終ラウンド、先に藤田寛之が2、3番と連続ボギーにしたことで、その差は3ストロークと開いた。
「この状況では、自分もどうなるかわからない。相手のスコアに振り回されることなく、自分のゴルフに集中するだけ」と、心の中の自分に言い聞かせてマークセンはマイペースを守る。
雨はやんでも、風は変らずに、ショットコントロールを乱そうとする。これもマークセンは受け流し、結果を受け入れて淡々とプレーを続けた。ショットコントロールは乱されても、気持ちは冷静にコントロール下におい
ていた。それが、最終ラウンドのマークセンの強さであった。
18年大会で3連覇を達成したあと、マークセンを待っていたのはスランプだった。日本では無類の強さを誇ってはいたものの、海外メジャーに遠征すると、思うようなゴルフができない。日本では食事に困ることはなかったが、欧米にいくと、メニューに写真付きの料理で「これとこれ」といった調子で指差しできるようなレストランが少なく、ストレスだったという。大好きな温泉もない。いつしか“外国嫌い”になり、ゴルフに集中できなくなっていたそうだ。そんなこともあって、ショット、パッティングに悩まされる状態にまで陥ってしまった。
タイに戻っての練習でショットは好調時に近いところまで取り戻せたが、パッティングの調子は、なかなか好調時のようには戻せなかった。長年エースとして使い続けてきたマレット型でセンターシャフト・タイプ(3連覇達成時も使っていた)のパターをネオマレットと呼ばれるタイプのモデルに替えることで、ようやくパッティングも思うようなストロークができるようになってきた。実は、それも最近のことで、先週のコマツオープンで深堀圭一郎とのプレーオフにまで持ち込んだ優勝争いで手応えをつかんだ。まさに、この日本シニアオープンに朝順を合わせてきたかのような完全復調で臨んできていた。
この日2バーディ・2ボギーのイーブンパーで迎えた終盤。16、18番でちょっと距離のあるバーディパットを沈めて藤田を突き放して青木功の5勝に次ぐ4勝目を手にした。
月曜日にタイに帰国して25日から現地のシニアトーナメントに出場し、再来日して次は日本シニアプロのステージに立つ。ハードスケジュールをものともしない肉体の強さも、衰えは見せない。トレーニングは、特にやっていない。「休みの日は、やっぱりゴルフ。それがトレーニング代わりかな(笑)…」タフな56歳である。
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