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報告:S.Mitamura 写真:Y.Watanabe / S.Osawa
最終ラウンドの土壇場。17番(パー3)で木下稜介が、第1打を右に曲げて深いバンカー。そこからなんとチップインのバーディとし、今平周吾と並んだ。今平は、1組前でプレー。ちょうど第1打を打ち終えて第2打を打つ準備をしていた。ものすごい歓声が耳を襲った。「きっとバーディを獲ったんだろうなぁ」と思った。バーディ、最低でもパーが必要だ。今平の第2打はグリーンに乗っただけと言ってよかった。
実は、この日のホールロケーションは、グリーンの奥、手前から27ヤードのところだった。
なんとか最終ホールをパーで終えてプレーオフへ……という気持ち強かった。でも、今平は、しっかりと狙っていた。スルスルとカップに沈み込むボールを見届けた今平は、いままで見せたことのない表情で咆哮し、気合の入ったガッツポーズを作った。
まさにサンデーバックナイン。特に終盤は神経がヒリヒリする時間帯がずっと続いていた。今年は、日本ゴルフ協会(JGA)100周年。日本オープンも、第89回を迎えた。100周年という一つの区切りの大会であった。その時代時代の変容の中で、選手たちの技量もどんどん高まって、精緻なショット、パッティング。あるいは、攻略が進化してきた。かつてこの東京ゴルフ倶楽部で開催された日本オープンもそうだけれど、その時代の1シーンを刻むに相応しい大会となっていた。
ゴルフ競技というゲームは、コース設計、セッティングと選手が持つ技量の凌ぎ合い。選手の叡智とコースセッターの叡智をぶつけ合い、人間の持つポテンシャルを引き出すのだと思う。難度の高いセッティングは、技量が拮抗する選手のミリ単位のミスをストロークに反映させるためだ。
今回の劇的な幕切れとなるドラマは、そんな背景を背負った72ホールの舞台があったからだと思う。きっと、10年後、同じ設定で大会を行えば、選手たちの叡智は、もっと良いスコアとなって現れるだろう。さらに20年後は、信じられないスコアとなるかもしれない。この100年も、そうやって日本のゴルフは成長してきたはずだ。そして、この先、100年も……