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2009年度(第24回)ノムラカップ アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権
ノムラカップとは
※アジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)が主催する、現在アジア太平洋地区で開催される公式戦の中では最も規模の大きいアマチュアチーム選手権。同地区のゴルフ界の発展に寄与することを目的に隔年で開催されています。

本選手権の発足は、1962年に川奈GCで行われた世界アマチュアゴルフチーム選手権の際にフィリピンのマニュエル ディンド ゴンザレス氏から日本・台湾・フィリピンの3カ国の間で対抗戦を行うのはどうかとの提案があったのにさかのぼります。 その提案を受けた当時のJGA副会長野村駿吉氏と台湾の代表者と協議した結果、1963年にフィリピンで日本、台湾、フィリピンが参加して第1回アジアアマチュアゴルフチーム選手権を開催しました。
「ノムラカップ」の由来は、野村駿吉氏が果たしたアジアアマチュアゴルフ界への貢献の偉業を称えてつけられたもので、第1回大会は日本が優勝を果たしています。1977年には、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアがAPGCに加盟したことを受け、競技名称を現在の「アジア太平洋アマチュアゴルフチーム選手権」に変更し、現在に至っています。なお、日本は過去8度の優勝を数えています。

本年度の日本代表選手団
宇佐美 祐樹(日本大学3年)

日本チームのエースとしての活躍が期待される宇佐美祐樹。宇佐美は前回大会で個人戦12位タイの成績を残し、日本チーム2位の原動力となりました。
高校時代から将来の活躍を期待されてきた宇佐美は、大学進学後スィング改造に取り組み、一時不遇のときを過ごしました。しかし、新スウィングを身につけた今年は、日本アマチュアゴルフ選手権競技で初優勝を果たしたほか、日本代表として出場したネイバーズトロフィーチーム選手権で個人戦2位に入るなど完全復活。持ち前のショットの切れにさらに磨きがかかり、日本チームの大黒柱に成長しました。前回大会2位以上の成績を目標とする日本代表の核として、自身2度目のノムラカップに臨みます。
 
大田和 桂介(日本大学3年)

昨年、日本学生ゴルフ選手権優勝、日本オープンローアマチュア、関東学生ゴルフ選手権優勝と、その才能が一気に開花した大田和桂介。今年は、日本アマの準決勝で宇佐美に敗退したもののベスト8の成績を収め、8月には日本学生で史上8人目となる連覇を達成しました。
大田和は日本代表として国際競技にも出場し、4カ国チーム選手権では宇佐美とともに日本チームのエースとして活躍しました。大学生では珍しい長尺パターを使用する大田和。4カ国チーム選手権や日本学生でもこの長尺パターで、多くのバーディを奪いました。日本代表としてネイバーズ、4カ国に続いて臨むノムラカップで、大田和の真価が問われます。
川村 昌弘(福井工大付福井高校1年)

今年の中部アマチュアゴルフ選手権を制し、日本アマでは3位入賞を果たした川村昌弘。その成績が評価されて日本代表に選考され、ネイバーズトロフィーチーム選手権に出場しました。川村自身初の日本代表となったこの試合では、慣れないコースコンディションに苦しみ不本意な結果に終わりましたが、切れ味鋭いアイアンショットは、将来の日本代表を背負う逸材であることを認識させました。
日本アマでは、マッチプレー進出者を1名の枠を決める7人のプレーオフで、1ホール目にバーディを奪う勝負強さも持つ川村。本選手権の日本チームでは最年少となりますが、持ち前のショットで上位進出を狙います。
 
小平 智(日本大学2年)

昨年の日本アマでランナーアップを獲得した小平智。今年は、関東アマチュアで3位入賞を果たすと、日本アマでベスト32入りを果たすなど安定した成績を残しています。
8月の4カ国チーム選手権では、初の日本代表に選考されましたが、実力を十分に発揮することができず、悔しい思いを味わいました。小平の武器はアイアンショット。積極的な攻めのゴルフで韓国有数の難コースであるNam-Seoul CCを攻略することが期待されます。

野村駿吉氏の紹介
明治22(1889)年生まれ。父親の竜太郎氏は、日本の鉄道事業における先駆者といわれた人物。

駿吉氏は、明治44(1911)年に神戸商高を卒業後、大正2(1913)年に三井物産ニューヨーク支店に勤務。このころ、ゴルフを覚え、大正11(1922)年からはテキサス州で石油採掘に従事し、翌年に日本に帰国。帰国後は東京ゴルフ倶楽部の会員となり研鑚を積み、昭和2(1927)年に日本アマチュアゴルフ選手権競技に優勝した。
昭和10(1935)年には、関東ゴルフ連盟の設立を果たし、関東アマを創設するなど、戦前の日本のゴルフ発展に寄与した。
戦後は、昭和23(1948)年に東京ゴルフ倶楽部理事長に就任すると、翌年には関東ゴルフ連盟を再建、JGAの復活にも尽力した。
昭和32(1957)年には霞ヶ関カンツリー倶楽部でのカナダカップ開催に尽力。日本のゴルフブームの礎を築いた。

昭和38(1963)年、73歳で死去。

開催コース紹介
会場のNam-Seoul Country Clubは、1971年に会場した韓国を代表する名コースとして知られています。樹木にセパレートされた各ホールは、うねりのあるフェアウェイと高速グリーンにより、難易度が高められています。このコースで好スコアをマークするには、正確なティーショットと、いかに早くグリーンの特徴を掴むかにかかっているといえます。
Nam-SeoulCCでは、過去に韓国オープン、韓国アマチュアなどのナショナルチャンピオンシップやアジアンツアー競技の会場にもなっています。

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