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【初優勝のミノザ。日本オープンの教訓が活きた無心の勝利】 |
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第4日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi / Hakusho Yamanouchi |
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優勝したミノザは、自分自身で「まだ信じられない」という顔をしていた。喜びよりも、むしろ緊張感のほうが色濃く漂っていた。
それは、精神的にも肉体的にも、技術的にも、切羽詰った戦いの残像のようでもあった。
カット通過スコアが、通算12オーバーパーという苛酷なセッティング。その中で、上位陣がアンダーパーを出していく。その違いは、ありきたりの言葉だけれど、心・技・体が、どこまで極みの中で持続できたかどうかにかかった筈である。
優勝したフランキー・ミノザは、第2ラウンドが終わったあとに「自分が上位にいることは一切考えず、自分のゴルフに集中して頑張りたい」と語った。
最終ラウンド。ミノザは、1番(
パー5)でバーディ。3番(パー3)でもバーディとして、真っ先に通算5アンダーパーの首位に立った。その後、6番でボギーを叩く。
最終組の中嶋常幸、井戸木鴻樹が、前半を終了した時点で、通算4アンダーパーが4人いた。
一組前の室田、ミノザと、最終組の井戸木である。
雨足が強くなって、本降りがやってきたのは、ちょうど午後1時半ごろだった。最終組が、11、12番でプレーしていた時間である。雨が降ることで、シニア選手たちのクラブ選択が、レギュラー選手よりも難しくなる。雨と寒さが加わると、大きいときで3番手は違うと言っている。
「勝ちたい……」と、優勝に対して執着心が、おそらく最も強かったのは中嶋だったかも知れない。そして井戸木も、シニアルーキーとして、優勝に手が届く絶好のチャンスだから、どうしても勝ちたいという気持ちが強い。それはディフェンディングチャンピオンの室田も同じだろう。
ミノザは、どうだったか……。
「もちろん、勝ちたいという気持ちは、いっぱいあるよ……でも、昔、痛い思いをしているんだ。日本オープンでね」とミノザは過去の話しをし始めた。
それは1996年と97年の日本オープンのことを指していた。
「はっきり細かいことは覚えていないけれど、確か最終ラウンドの最後の3ホールでボギー、ボギー、ボギーと自滅して負けたんだ」。
優勝したのは、ピーター・テラバイネンだった。そしてミノザは2打差の2位となった。97年も、1打差の2位タイだった。優勝は、クレイグ・パリーで、ミノザは、尾崎将司と並んでの2位だった。
「あの頃……まだ僕は、スマートさがなかったよね。冷静に判断することもできずに、ラフに入ったボールでも、攻撃する気持ちが勝って失敗したんだ。いまは、ラフに入ったら、まずはレイアップ。そしてセカンドチョイスは?という考え方に変わったんだよ」。
11番(パー5)で、ミノザがバーディを奪って、再び5アンダーパーで抜けだした。
2アンダーパーまで落ちた中嶋も11番でバーディ、さらには15番でバーディとして、4アンダーパーで優勝争いの渦の中に舞い戻ってきた。井戸木も4アンダーパーのまま11番を抜けたけれど、雨が本降りとなった12、13番で連続ボギーとする。
けれども、ミノザも12番でボギーとして、4アンダーパーにミノザと室田、3アンダーパーに中嶋と室田で、いよいよ中盤から終盤へと向かっていった。
ミノザは、プレー中「リーダーボードを一度も見なかった」と語った。
それは前半2日間、ミノザと一緒にラウンドした重信秀人がコメントしているように「ミノザのゴルフは、ほんとにプレーしている心が、穏やかなんですよ。もちろん、内面で葛藤があるのかも知れませんが、バーディをとったから、ボギーを叩いたからと、一喜一憂していないように見えるんです。スタートホールでティーショットしてから、最終ホールで最後のパッティングを入れるまで、同じテンポ、同じ目線でプレーしているんです」という表現が、この重要な最終日の場面でも展開されたのだろう。
いや……一喜一憂もするだろうし、同じ目線でいられないのが人間の業だと思う。それでミノザは、若い頃に失敗も何度もしたのだろう。
ゴルフ人生のアップダウンや右往左往を繰り返して「自分のゴルフスタイル」を見つけ出すことができたのだと思う。だから、ミノザは「最後の最後までリーダーボードを見ない」と決めたのだ。その見ないと決めたことを、歯止めにしたのだと思う。
優勝が決まり、表彰式のセレモニーが終わっても、ミノザの顔に、真の笑顔がなかった。
そして優勝インタビューが始まった。
「まだ、足が震えているんだ」と正直な気持ちを語った。
17番の2打目のパッティングは?と聞くと「はっきり覚えていないんだ……たぶん(3段グリーンの1段目から2段目にショートした)2パット目は、残り3メートルぐらいあったかなぁ」と上の空だった。
誰もが、日本シニアオープンの優勝を目指して、精一杯のゲームをした。何か、ほんの僅かなことで、誰が勝っても不思議ではないという伯仲した、切羽詰った状況で戦っていた。
ミノザが、リーダーボードを見たのは、ホールアウト後だったという。それでも、最終組がまだ終っていなかった。だから「あー、いま首位に立っているんだ」というのが、偽ざる心情だった。
フランキー・ミノザが、自分が優勝したという実感を味わうことができるのは、きっと、コースを離れて帰路につき、翌朝目覚めたときかも知れない。喜びが、遅いのは、それほど苛酷で、必死で戦ったという証だと思う。
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