2013年度(第23回)日本シニアオープンゴルフ選手権競技
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Championship Reports
競技報告
【ローアマチュア争いは接戦を制した松本新語が2度目の獲得】
第4日 競技報告:三田村昌鳳    写真:Gary Kobayashi Akihiro Ueda
ローアマチュア争いは、最後まで接戦だった。最終ラウンドの前半を終えた時点で、木田正彦が通算11オーバーパー。先に回っていた松本新語が、14番をボギーとして 通算16オーバーパー。杉山稔は、13、15番をボギーとして通算13オーバーパー。木田が有利な展開だった。ところが木田が10番ダブルボギー、13番ボギー。 そして15番でもダブルボギーと大きく崩した。木田が通算16オーバーパーと後退した。杉山も15番でボギーを叩き。この時点で、杉山通算14オーバーパー。 松本、木田が通算16オーバーパーとなった。

15番で松本は絶妙のバーディを獲った。残り200ヤード弱の距離から4番アイアンで4メートル
につけてのバーディである。それで通算15オーバーパーに 戻した。さらに難しい17番(パー3)で松本は第1打をピン右サイドのグリーンをややこぼしてしまう。距離は10ヤード。そこからウェッジで寄せた ボールは、なんとホールに沈んだのである。会心バーディだった。松本は、通算14オーバーパーで、まずホールアウト。杉山と木田のプレーを待っていた。

杉山は、17番で痛恨のボギー。木田も同じくボギー。さらに杉山は18番で第1打を池に入れてのダブルボギー。木田もボギーとし、両選手ともの2 打及ばす松本新語が、2011年大会に次いで2度目のローアマチュアを獲得した。「2年前の大会が初出場だったんです。地元(中国地方)ということもあってコースもよく知っていましたからね。それからずっと、この大会は、まず予選通過。そうでなければ、ローアマチュアも狙えませんからね」と3年連続出場中2度目のローアマチュア獲得を果たしたのである。

松本新語選手は、遅咲きのアマチュアゴルファーである。ゴルフを始めたのが24歳のときだった。それから趣味ではじめていたゴルフにどんどん熱中して競技会に出場するようになった。「もともと学生時代に陸上競技をやっていたりして、競うことがきっと好きなんですね」その競争本能が、競技ゴ ルフにはまっていく原動力となった。

日本アマチュア選手権に出たいと目標を持って、35歳から出場。今年でトータル20回の出場を果たしている。けれども「日本アマに出ても予選落ちが4年間続いたんですよ。もう悔しくてね。そこでもう一度考えなおして、みんなと同じことをやっていてはダメだと思い。自分なりにトレーニングメニューをつくってトレーニングをしたり、打球練習をしました」。

松本は、1年のピークを日本アマ、日本シニアオープン、日本シニアアマと大きな山に向かって日々のトレーニング、打球練習を欠かさない。「毎年、1月中旬から2月末まで、集中的にトレーニングします。勤務先のスポーツ施設には練習場のほかにもトレーニング施設など完備されていますから。足腰を鍛えることが、まず最初ですね」。

日々の打球練習は、1日100球と限っている。球数が多いことが決して効果のある練習ではない。ドライバーの平均飛距離は265~270ヤード。そして変則スイングだ。「スウィングは、十人十色です。それでいいと思うんです。要は、自分が打ちたい時に打ちたい球筋で打てるかどうかだと思っているんですよ」。松本選手を支えているのは、悔しさである。負ける悔しさだ。練達したゴルフを求め、それができない悔しさを忘れない。それが「スポーツ選手の原 点」だという。

ところで、松本新語という名前の由来は?と聞くと「いやー、僕もよく解らないんですけど、昔、新吾十番勝負というドラマが流行っていましたか ら、きっと、そこからでしょう。言偏だけは、親父の意気持ちかもです。親父は、教育委員もやっていたので、新吾ではなく、新語にしたのかも(笑)」

現在59歳。来年は還暦を迎える。「まだまだ、ゴルフの競技会で頑張りたいですね!」と飽くなき挑戦意欲をのぞかせた。

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