16番ホールで3パットのボギーを叩いたとき、畑岡奈紗は、一瞬「またか」と思ったという。前日、通算4アンダーパーまでスコアを伸ばしていたが、16番からの3ホールが3連続ボギーのフィニッシュとなって、急降下してしまった。そのことが、一瞬頭をよぎったのだった。
最終ラウンドは、悪夢の繰り返しにはならなかった。「自分の力を信じるだけ。本来の攻めるゴルフを徹底させる」と、プラス思考に塗り替えられていた。キャディを務めた母親の博美さんからも発破をかけられた。「思い切ってやりなさい!」
距離の長い17番(パー4)。ティーショットは力強く、バランスのとれたスウィングでフェアウェイをとらえた。ピンま
でクリーク越えになる210ヤード。向かい風だった。畑岡は、4番ウッドを手にしてフルスウィングした。やや左足下がりのライだったが、ボールはピン一直線に飛び、グリーンをとらえた。
この時点でトップに立っていた堀琴音は、17番でドライバーショットをフェアウェイ中央に飛ばしたが、絶好の位置からレイアップ策を選び、第3打のアプローチショットを寄せ切れずにボギーを叩いた。この段階で、両者は並んだ。
畑岡が先に最終18番ホールを迎えた。またもや会心のドライバーショットの後、7番アイアンでの第2打をピン右奥4メートルにつける。下りの速いラインだった。18ホールの中でも、最も難しいホールロケーションで3パットする選手も多かった。
「はずしたら、カップの先に3、4メートルは転がってしまいそうなラインでした。でも、軽いフックラインであることは読めていたので、カップインさせることしか考えないようにしました。あとは、なるようにしかならない…と、自分に言い聞かせて、ストロークしました」
ボールはカップに沈んだ。終盤に見せたショット力、決断力が、パー、バーディという会心のスコアを生み出したのだった。これで単独トップに立ち、後続の堀が18番をパーにした瞬間に大会史上初のアマチュアチャンピオンが誕生した。
17歳の畑岡が、これまでのゴルフ競技歴の中で、最も大きな契機になったのは、2年前の日本ジュニアゴルフ選手権での敗戦だという。最終ラウンドを6打リードで迎えたが、同組の勝みなみに大逆転された。苦い思い出であり、この悔しさがバネになって、その後の活躍につながっていった。日本女子アマチュアランキング1位の座についたのも、大逆転負けからの奮起がもたらしたものだった。
JGAナショナルチームメンバーとして海外の大会に出場しただけでなく、父親の仁一さんが手を尽くして探してくれた出場できる海外の競技会に出かけることも多かったという。米国でのIMGジュニア世界選手権で優勝、アジアを転戦するファルドシリーズにも数試合出場し、同シリーズのグランプリも獲得している。
この4月には、USLPGAツアーのスウィンギングスカートLPGAクラシックに推薦出場が認められ、世界のプロとの戦いも経験した。このとき、何人ものトッププロを紹介され、知己を得たこと、4日間を戦えて「楽しかった」という思いが、畑岡を決断させた。「アメリカで戦いたい」。8月。日程が重なった日本ジュニアを欠場してUSLPGAツアーのファーストQTに挑戦し、通過している。この10月20日からはセカンドQTが待っている。
そんなスケジュールが控えているときに、日本女子オープンに優勝した。さあ、どうする?プロ転向宣言すれば、単年登録選手として日本女子ツアーに出場できる。翌週開催されるスタンレーレディスには、アマチュアとしての推薦出場が予定されていたが、これも、そのままアマチュアとしてのエントリーとするのか、プロとして出場するのか。
畑岡は、小林浩美会長はじめ日本女子プロゴルフ協会の役員から両親とともに説明を受けた。その結果、スタンレーレディスにはアマチュアとして出場し、その後のことは、改めて両親と相談して決めることにしたという。USLPGAツアーのQTは、そのまま受けるつもりで、「ファイナルQTも突破すれば、米女子ツアーでの戦いをメインに考えていきたい。奈紗という名前はNASAで名前も覚えてもらいやすいと思うんです」と、胸の内を明かした。
大会史上初のアマチュア優勝。畑岡は、その感激に浸る間もなく、様々な決断を迫られることになった。
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