「悔しい!」という言葉が、真っ先に出た。「勝ちたかった!」と次の言葉が出る。もちろん、敗れた鈴木亨が、発した言葉である。
ホールアウトして、スコアカード提出を終えると、まず家族のところに行き、応援の労をねぎらった。家族は、健闘した鈴木亨に、言葉少なげに声をかけた。「もし勝てれば、家族全員の優勝だと思います」と第3ラウンドを終えて語っていた鈴木の、悔しさが、その表情に表れていた。
軍配は、マークセンに上がった。けれども、試合は拮抗し、息の抜けない攻防だった。NHKのラウンドレポーターをしていた田中泰二郎プロは「もし、鈴木選手に隙きがあったとすれば、12番ホールですね。一瞬、(マークセンを
抜いて)トップに立ったが故に、心が揺れた15分間、だと思います」と語った。試合展開を振り返ると、まずマークセンが1,2番とバーディを奪い、通算9アンダーパーとした。その2番で、すかさず鈴木もバーディとし、2打差から1打差に戻した。さらに鈴木が、6、7番とバーディ。マークセンは、7、8番とバーディ。そして鈴木が9番でバーディとして、前半を終えて、マークセンと並んで11アンダーで後半に向かった。その11番で鈴木が、初めてトップに立って迎えたのが、12番だった。
鈴木は、ティーショットをフェアウェイ真ん中。マークセンは、右のラフ。それもカート道路がかかっていて競技委員を呼んだ。少し時間がかかった。そしてマークセンは、第2打を今度は左に曲げて、隣のホール近くに行った。鈴木は、絶好のポジションから、何故か、グリーンに乗せることができずに、手前のバンカーに落とした。「そのショット。外側から見ている僕とすれば、心の隙間だったのかも、と思ったわけです」と田中が語る。鈴木は、そのバンカーから3打かかってボギー。ところが、マークセンは、とんでもないよころからグリーンに乗せて、しかも「スーパーパー」(田中)でスコアを死守した。
「トップに立って、わずか15分。されど15分。その仕合せな時間が、魔の15分だったと思います。もちろん、そこからも鈴木選手は、素晴らしいプレーを見せてくれましたが、ゲームの流れは、まさにこの12番にあったと思う」と田中は解説してくれた。
鈴木は、12番は「一緒にボギー(だろう)」と感じていた。それが田中の言う心が揺れた15分だった。「マークセンが、なんであんなところからパーをとるかなぁ」という呟きが、ふと出てしまう。鈴木にプレーを振り返ってもらうと、この12番と14番がキーポイントだったという。12番でボギーとしたあとも、集中力も気力も萎えていなかった。しっかりとキープできていたという。そして、どの選手も手こずる終盤のホールは「僕にとっては、苦手意識がないホールばかりなんですよ。ですから、まだ、行けるという気持ちがありました」と言った。13番(パー3)でもグリーン手前バンカーで、目玉状態をうまく切り抜けてのナイスパー。ところが14番で、やはりフェアウェイ真ん中に置いてからの第2打、6番アイアンのショットをミスしてボギーとしてしまった。「左に行きたくないと思っていて、ちょっと迷ったんですよ」という鈴木。グリーン右サイドのラフに外して、3メートル弱につけて、入らずでボギー。
それでも諦めていなかった。まだチャンスがある。残り4ホールで、2打差。マークセンが、勝てるかなと思ったのは「16番ホールだった」と言った。マークセンは、ことごとくピンチを、試練を乗り越えたプレーを続けていた。あえて鈴木に、死角があったとするなら「心が揺れた12番」(田中)だったか。あるいは、付け入る隙きのないマークセンに、最後のトドメを刺せる1打か、何か、が足りなかったのか。それが、14番でのボギーが原因だったのか。「バーディを獲って、獲って(自分も)凄いゴルフをしているなと思っていたんですけど、マークセンのほうが一枚上でしたね。最後も(バンカーからチップインで)入れちゃうし……」と鈴木が言った。
今回、鈴木は息子の貴之さん(19歳)をキャディとして帯同した。「息子も(中央学院)大学でゴルフをしているし、メジャーで、優勝争いの痺れる経験をさせてあげたいな、という気持ちでいたんです。まずは第3ラウンド終えて、そのポジションにいないといけないわけですから、そこまでは、必至でクリアして、最終ラウンドは、優勝争い……勝てれば、勝ちたいなという強い気持ちがあったんです。そうすれば、家族全員で勝ち取った勝利になりますからね」と3日目に語っていた鈴木。優勝こそ逃したけれど、家族全員で心ひとつにして、最高の戦いを見せてくれたと思う。素晴らしい戦いだった。
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