今年の日本シニアオープンゴルフ選手権の出場者は、文字通りオープン競技(誰にでもチャンスがある)の雰囲気があった。例えばプロゴルファーでは、ティーチングプロとトーナメントプロのカテゴリーがある。ティーチングプロは、もともとアマチュアを指導、教える、レッスンすることを主な生業としている。そのティーチングプロからも予選会を戦い抜けて出場している選手が、今年は7名いた。さらにアマチュア選手も、出場選手12名のうち、予選会から勝ち抜いて出場した選手が、8名。残りの4名は、出場有資格者である。50歳を過ぎて、この大会に挑戦したいという選手たちが年々増えているのかもしれない。
中でも、出色のアマチュア選手
がいる。通算1アンダーパーの23位タイで後半のラウンドに進出した横山浩康だ。57歳。今回は、5回目の挑戦である。横山は、36歳までサーファーだった。「20年間サーフィンをやっていました。サーフィンが大好きで、このまま一生サーフィンをやっていくだろうなと思っていました。日本全国、海外の海にも行っていたんです。いい波を求めてね。サーフィン時代から毎晩のお風呂上がりのストレッチだけは、欠かしていませんでした。筋力トレーニングは一切やっていません。ゴルフを始めてからサーフィンはやめました。やめたのは37か38歳の時だったかなぁ。若いサーファーに波を取られるのでやめました(笑)。それでもうダメだなと思ってゴルフにシフトチェンジしました。始めた頃は千葉のゴルフ場でプレーする時などサーフボードを持っていたこともあったが、やっぱりダメですね。両立は無理!無理!でゴルフに専念」という経歴を持っている。きっとゴルフのスウィングに欠かせない体幹は、そのときの賜物なのだろう。
10番ホールからのスタートで、14番(パー5)は3オン。残り80ヤードの第3打はピタリと寄せてバーディ。「調子に乗って」、次の15番も2.5〜3メートルの上りラインを読み切り、連続バーディ。「また調子に乗って」16番は昨日に続きボギー。折り返して1番(パー5)。「3オンしたのに3パットしました」。そして、6番ホールのパー5。「ここは2オンしました」2パットのバーディ。9番は、「同組の相澤敏弘プロが3アンダーパーだったので、これを入れたら同じ3アンダーパーに並ぶと思って、ちょうど上りの4メートルのバーディパットを入れにいったら、そこから3パットしました(笑)もったいないです。1打もったいなかったです(笑)」という横山の話っぷりもゴルフも、まるで波に乗るような感じだった。
5回目にして初の後半のラウンド進出。その印象を聞くと「初めての決勝ラウンドなので楽しみたい。日本シニアオープンに挑戦し続けたのは、決勝ラウンドに出場したくて、2サムでラウンドしたかった。なかなか試合で2サムで回ることはないじゃないですか。初めての挑戦から“7年越しの夢です!”」という横山。サーファーからゴルファーへ華麗なる転身をして決勝ラウンドへと進んだ。この波に乗って、目指すはローアマチュアのタイトルだ。
|