「痺れました。ホントに痺れて、手が震えました」と最終ホールのバーディパットを決めた藤田寛之は、正直に吐露した。レギュラー時代に賞金王を獲得するなど百戦錬磨の藤田が、まるで新人選手が初優勝したときのようなコメントだった。残り1.5メートルもあっただろうか。本人すら正確な距離を思い出せないという。それが入れば優勝という距離を沈めて、日本シニアオープンの初優勝を飾ったのだ。
まさに、痺れるようなドラマチックな戦いだった。最後の最後まで、誰が勝つか解らない接戦。最終ラウンド。首位の宮本勝昌が、通算9アンダーパー。1打差に藤田寛之。さらに1打離れて増田伸洋。首位と3打差に片山晋呉。4打差にプラヤド
・マークセン、山添昌良、桑原克典、飯島宏明の4人の強者がひしめいた。想像では「シニア最強の男」と藤田の言葉通り、宮本が突っ走るのではないかと思われた。1番で宮本がバーディを奪って、そういう流れが見えたと思った。その途端2、3番と連続ボギー。増田もダブルボギー、片山もボギースタートと一気に流れが見えなくなった。
最終組の6組前のI・J・ジャンが、通算3アンダーパーから3つ伸ばし、3組前の山添も4バーディを奪って通算9アンダーパーまで迫っていた。首位の宮本のパッティングが不調。藤田も、ショットが乱れ、前半9パットとパッティングで凌いでいくプレーが続いていた。
「前半、フェアウェイキープしたティーショットは、ゼロだったんです。さらにパーオンしたホールも2つだけ。それがバーディに繋がったんですけどね。数えたらパット数が9ホールで9つ。不思議ですよねぇ」これだけ荒れたプレーのなかでノーボギーでしのぎ切り、2アンダーパーで前半を終えた経験は、藤田自身も思い当たらないと言った。
試合展開は、混沌としていた。最終組が13番を終わった時点での順位は、通算10アンダーパーで藤田。1打差で山添とI・J・ジャン。2打差の通算8アンダーパーでマークセンと宮本。通算7アンダーパーで片山という順位になっていた。
ゲームの佳境は、ここからさらにヒートアップしていった。
「勝負どころは、14番になるかもって思っていたんです。パー5ですからそこでバーディをとってすり抜けられればと思っていたんです。少なくとも2打差にしたかったわけです。ところが、そうはうまくいかない。逆に14番でパーのあと15番でボギーじゃないですか。(タイトルは)無理かな」と、藤田の頭に一瞬よぎった。藤田、山添が通算9アンダーパー。1打差でマークセンと片山、I・J・ジャン。「16番からの4ホールで、ひとつバーディが欲しい」と思っていても、それがなかなかやってこない。「今日のピン位置は、厳しかったですからね。よほどショットが精緻でないとなかなか突っ込めないし、奪えませんから」と藤田が言うように「残り4ホールは、ドラマチックの佳境」とコースセッティングコミッティのチーフディレクター勝又正浩は教えてくれた。
ホールロケーション(ピン位置)の妙味。単に難しい位置にピンを切ったということではない。「ホールの特性やセッティング。難易度を複合して、日々の平均スコアも合わせて毎日18ホールの位置を決めていくわけですが、やはり18ホールのゲームの流れも加味して考えます」と言う。「最終ラウンドは、特にここで戦う選手たちの技量をリスペクトして、みんなが勇気をもって攻めてもらえればいい結果が出やすく、逃げればそれだけリスクが高くなるという考え方で決めました」とリスクと報酬というゴルフゲームの本質をなぞったものだった。とくに気になったのは、最終3ホール。16番、17番、18番のホールロケーションだった。土壇場で問われる勇気の1打。それを問われるようなピンの位置だったと思う。
絶妙なホールロケーションを解説するのは難しいが、例えば、18番(558ヤード・パー5)。この日のホールロケーションは、右4ヤード、手前から14ヤード。しかもグリーンのアンジュレーションが、馬の背から右サイドに下っている。2オン狙いでも、3オン狙いでも、つま先上がりからのショットになりがちな条件。ドローボールがかかりやすい状況で、逆に軽いフェードで狙っていく感覚がある。藤田は、1打をミスして、3打目でピンを狙った。ピンに向かって飛んだボールは、奥からスピンで戻って、約1.5メートルにつけた。
藤田が痺れたバーディパットだった。それを沈めての初優勝だった。
藤田のコメントで惹かれたのが「これからの下り坂の人生を愉しみますよ」という言葉だった。「悲観的ではない、下り坂の愉しみ方があると思うんです。そして充実して下り坂を楽しむために、やることもあるわけで、それはそれでいい日々だと思っています」と教えてくれた。以前は、若手から刺激をもらったけれど、いまは年上の先輩から刺激をもらっているという。「ナショナルオープンの優勝は、格別です」と締めくくった。
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