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大会の歴史

日本シニアオープンゴルフ選手権競技が創始されたのは、1991年。当時、シニアツアーは、年間30試合を数えるまでに成長し、公式戦の開催の機運が高まる中で、第1回大会が鳩山カントリークラブで開催された。開催にあたっては、(財)日本ゴルフ協会(JGA)とプロの統轄機関である(社)日本プロゴルフ協会(JPGA)が史上初めて共催という形となったことは日本ゴルフ界にとって画期的なことであった。JGAとJPGA共催による日本シニアオープンはその後1997年まで続くことになる。

金井 清一金井 清一

日本シニアオープンの創始には、紆余曲折があったことも事実である。当時、JGAではアマチュアのシニア選手権である日本シニアゴルフ選手権を開催しており、出場資格は60歳以上と規定されていた一方で、1962年からJPGAが主催している日本プロゴルフシニア選手権は50歳以上と、出場年齢の規定に10歳の開きがあった。JGAとJPGAは協議を重ね、出場年齢を50歳以上と定め、日本シニアオープンの開催を実現させた。

青木 功青木 功

第1回大会には内田繁や杉原輝雄、金井清一ら往年の名プレーヤーが出場し、大いに大会を盛り上げ、金井清一が見事に第1回大会のチャンピオンとなった。その後、金井は日本シニアオープン3連覇を果たし、草創期の日本シニアオープンの主役として歴史に名を残すこととなる。その後、第4回大会からは、世界を舞台に活躍し日本ゴルフ界を牽引してきた青木功が前人未踏の4連覇を成し遂げる。青木が4連覇を果たした第8回大会からは、JGAとNHKの共催となり、多くのゴルフファンに出場選手の白熱した戦いがゴルフ愛好家に楽しまれるようになった。続く、第9回、第10回大会はグラハム・マーシュが連覇を達成。その後も高橋勝成が3勝をあげるなど、レギュラーツアーの中心選手としている選手が熱戦を繰り広げ、日本シニアオープンは着実にゴルフファンに根付いてきた。

2005年に茨城ゴルフ倶楽部で開催された第14回大会では、青木功とともに日本の第2次ゴルフブームの中心となった中嶋常幸が初出場。この年にシニア入りした尾崎健夫、友利勝良、飯合肇らとともに日本シニアオープンが新たな時代を迎えたことを印象づけた。嵐山カントリークラブで開催された2005年第15回大会では、中嶋が日本シニアオープンを初制覇。中嶋は、史上初めて日本アマチュアゴルフ選手権競技、日本オープンゴルフ選手権競技、日本シニアオープンゴルフ選手権競技のナショナルオープン全てを制覇する偉業を成し遂げたことも記憶に新しい。

グラハム・マーシュグラハム・マーシュ
高橋 勝成高橋 勝成

ゴルフ先進国のアメリカでは、1980年に全米シニアオープンが創始され、アーノルド・パーマーやビリー・キャスパー、チチ・ロドリゲス、ゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラウス、リー・トレビノら名選手が次々に出場。シニア選手が出場しているチャンピオンズツアーも成長の一途を辿っている。ゴルフというスポーツの楽しさや奥深さ、また、ホスピタリティ精神に溢れたプレースタイルが数多くのゴルフファンを惹きつけているのは疑いのないところ。日本シニアオープンも、今後続々とレギュラーツアーで活躍している選手が出場することとなる。第2の青春を迎えたシニアプロたちの矍鑠としたプレーが披露される日本シニアオープンの更なる発展が期待される。

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