|
|
|
|
|
|
【出だしの遅れを取り戻し2位タイに浮上した倉本昌弘】 |
|
|
第3日
|
|
競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi |
|
|
「箱根駅伝でいえば、出だしの遅れを、登り坂で全力疾走して、やっとやっと上位グループに追いついたって感じですから、そんなに(ほかの上位の選手に比べて)余裕はないですよ」と、倉本昌弘は、自分の戦いぶりを語った。第1ラウンドで76の6オーバーパー。43位タイと大きく出遅れた。そして第2ラウンドで69の1アンダーパーで12位タイ。第3ラウンドで、この日ベストスコアの67の3アンダーパー。通算2オーバーパーで2位タイとなった。倉本の表現通りに「やっと射程距離圏内に辿り着いた」わけである。
「やはり、最初はパッティングの悪さですね。悪いというか、どうしてもパッティングの読みが、ベント芝の読みになってしま
っていたわけです。その分、読みが甘くなる」
前半、4番ホールでボギーがひとつ。あとはすべてパープレーで回った。そして、後半の13番ホールで2メートルのバーディを決めると、15、16番と続けてバーディをもぎ取った。さらに18番ホールでもバーディとして、インは31のスコア。「それでも、まだ2メートル以内の距離を、4、5発は外しているんですよ」と言う倉本。つまりは、ショットがそれだけ好調だということだ。
「このコースは、6600ヤードしかない、というけれど、名だたる選手たちがプレーをして、ボギーやダブルボギーをたくさん叩いてしまっているという事実が、どれほどの難しさか如実に表していると思いますよ。(グリーンが小さくて、攻略ルートも難しいというホールばかりでパッティングの距離が)そう簡単にOKにつくわけじゃない。むしろOKにつけようと狙えば、叩きますよ。まあ、昔のクラブ(パーシモンヘッド時代)に比べると、ボールを曲げるのに四苦八苦する時代ですから、たぶん、昔のクラブで回っていれば、逆に、かなり面白いプレーができるでしょうね」
倉本が、この鳴尾でプレーしたのは、プロ転向(1981年)して初めての研修会(月例)だったという。首位のブーンチュ・ルアンキットとは、2打差。同スコアで、湯原信光がいる。かつて『学士プロ』と呼ばれた同世代のライバルであり、仲間が、50代で再び熱戦を見せてくれる。
|
|
その他の記事はこちら
|
戻る
|
|
|
|
|