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【シニアオープンの優勝杯を鳴尾に飾りたかった水巻だが2位タイ】 |
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第4日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Gary Kobayashi |
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水巻善典は、試合前に密かな願望を抱いていた。
「この(所属コース)鳴尾でやる日本シニアオープンの優勝トロフィを、ずっとクラブハウスに飾りたい」という夢だった。「それができたら、どんなにみんな(コースのメンバーや従業員)が喜んでくれることだろうか」と、日頃の恩返しをなんとか果たしたかったからだ。
第1ラウンドのインタビューで、水巻は「ともかく最後まで優勝争いの中にいたいですね」と明言したのは、そんな気持ちの表われだったのである。
「その目標は、クリアでしましたけど…やっぱり、悔しいですね」と言う。
最終ラウンドのスタート時点で、3打差の4位。十分逆転できる位置にいた。1番ホールから水巻は「ともかく早くバーディをとって最終組の選手(倉本昌弘、ブーンチュ・ルアンキット)を揺さぶりたい」と気持ちが焦っていたことは確かだった。
「だから、1番ホールから7番ホールまでの7ホールは、バーディが獲れるところに(ボールが)来たら、無理にでも獲りに行こうという気持ちが強すぎて、狙い過ぎました」と反省する。コースを熟知していて、どこへ打ったらどうなることも、さまざまなバリエーションで想定できる。それが、いざバーディチャンスだという位置につくと、狙いすぎて「がっつきすぎ」で失敗する罠にはまってしまったわけである。
後半に入って、もう一度倉本選手を揺さぶろうと思った11番や13、16番ホールでのバーディが獲れなかったことが、追いつけなかった原因となった。
「チーム翠泉は、絶好調でしたね」と言うとおり、水巻夫人の実家が経営する旅館に宿泊して優勝した倉本をはじめ、真板潔、湯原信光、植田浩史は大活躍だった。「夜、みんなで一緒に食事していて、ゴルフ談義していたんですけど、そういう雰囲気って、ずっと昔のツアーには、よくあったんですよ。いまでは、ないですけどね。そういう意味でも懐かしかったですね…。でも、なんかホッとしました。それは、選手のみんなが、この鳴尾ゴルフ倶楽部のコースを高く評価してくれたこと。面白いねぇって、どの選手も言ってくれたこと。存在価値を、多くの人に知ってもらえたこと…。それがほんとに嬉しいんですよ」と、ホスピタリティ役をしっかりと果たしてくれた感じだった。
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