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【生命線のパットが冴えた金谷が2位に】 |
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第2日
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競技報告:三田村昌鳳 写真:Y.Watanabe |
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最終18番ホール。この日、17番までで10バーディ・1ボギーとした小平智が、第2打をピン奥2メートル弱にピタリと寄せて、大歓声が湧き上がった。そして、続く金谷拓実は、第1打を左のバンカーに入れ、それを出して、残り、ピンまで105ヤード。58度のウェッジを持って打った。そのボールは高い弾道で空中に舞い上がり、ピン手前にドスンと落ちた。50センチほどだっただろうか。大歓声は、小平のときより轟いた。
金谷拓実は、1998年5月23日生まれの17歳の少年である。その金谷が、日本オープンの第2ラウンドで一時は首位に立った。小平が18番でバーディをもぎとって通算11アンダーパー。金谷は、ナイスパーを
拾って2打差の通算9アンダーパー。堂々の2位で36ホールを終えたのだった。
「途中で、何度か(ホールにある)速報ボードを見たら、自分の名前がいちばん上にあったんです。あ、僕の名前が載ってるって、嬉しくなって。それもいちばん上に載っていたときは、夢みたいだと思いました」と純朴なコメントだけど、そのプレーぶりは、潔く、物怖じせず、堂々としていた。
「もう無我夢中でした。自分でもこのスコア(66)は驚いています。プレー中はスコアのことは考えていませんでした。でも、小平さんと近藤(共弘)さんと一緒に回っていて、(リズムがよく)すごくプレーしやすかったです。まずは予選通過をしようということだけしか考えていませんでした。ただパッティングのタッチが良かったので……」という金谷は、この日いつもよりも少し早い時間にコースに現れた。2時間前だ。「思ったよりも早く着いたので、まずはパッティング練習をして、それからドライビングレンジ、そしてまたパッティンググリーンに戻りました」
金谷のホールバイホールを聞くと、スラスラと答えていた。ショットもさることながら、パッティングの上手さが目立っている。50センチから、6メートルまで、まるで自由自在に決めていた。「僕の生命線」が、この日も継続していたのだ。
「(プレー中)何も考えていませんでした」と答える金谷に、記者が、それってゾーンじゃないの? ときくと「そういうものかも知れませんね」と屈託なく答える。勝みなみのいう「自分の頭から離れて、もうひとりの自分が頭の外にいて見つめているみたい」というのと似ているのかも知れないと記者が言うと「あ~、ですね」と、ニコリと笑った。
周囲が、優勝チャンスあるよとけしかけても、終始、冷静な態度で対応している17歳の少年だった。
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